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ガムラの反対側・ガリラヤ湖東岸にも熱心党の要塞が存在していました。マグダラのマリヤが住んでいた町・ミグダルのそばにそびえるアルベル山の垂直な崖に面した『鳩の峡谷』には、熱心党の要塞と司令部がありました。高さ461メートルのこの崖は、ガリラヤ周辺のどこからでも見えたので、ローマ、そしてその手下であるヘロデ大王に対する抵抗運動を常に思い起こさせるシンボルとなりました。

→ゲネサレ平原を見下ろすアルベル山の崖。
ガリラヤ湖沿岸に住む宗教熱心なユダヤ人は、ヘロデ大王とその息子たちをイスラエルの統治者として受け入れようとはしませんでした。
第一に、ヘロデの一族は純血のユダヤ人ではなく、イドメア人との混血でした。第二に、彼らは異教徒であるローマ人の手先でした。歴史家ヨセフスの記録によれば、アルベル山の要塞を攻略したとき、ヘロデは熱心党の兵士たちを足場から吊り下げて火あぶりにし、漁業用の鉄カギに引っ掛けて死に至るまで振りまわし、地面に叩きつけて殺したそうです。同時に、ある洞窟に隠れ住んでいた老人が、ヘロデに服従するよりは……と、自分の子や孫たちを崖から突き落とした後、自らも身を投げたと記述しています。
イエスがガリラヤの地で、「平和をつくる人は幸いです」と教えておられたとき、そこにいた人々は、これから迎えようとしているローマとの戦争に備え、武器を準備する音を耳にしていました。ガリラヤ湖岸のイエスをイメージするとき、私たちの頭には、そよ風が吹いて草花が咲き、平和を謳歌(おうか)するイエスの姿が浮かんではこないでしょうか。しかし、現実はそうではありませんでした。バプテスマのヨハネとイエスが伝道活動を展開した時期、ガリラヤ湖の周辺では、ローマに対して6回にわたる反乱が企てられていたのです。
◆イエスと熱心党
イエスが熱心党の教えに精通されていたことは間違いありません。弟子の一人・シモンは、以前熱心党員でした(ルカ6:15、使徒1:13)。ある学者は、イスカリオテのユダも熱心党員だったと信じています。ユダは十二弟子の中で唯一、ユダ地方の出身でした。そして、ユダ地方の革命分子たちとも親しかったようです。 これらの弟子たちとの付き合いから、イエスは熱心党に同情的であったと推測できます。しかし、熱心党の方法論や見解に賛成していなかったことは、その教えから明らかです。弟子が熱心党の出身だったからといって、イエスが理解を示したという証拠にはなりません。イエスは伝道活動の間ずっと、人々に携えていくべき、新しい教えと生き方を弟子たちに伝えようとされました。
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