◆養育
子どもへの訓練には、愛育と、養育が必要です。養育抜きで、訓練ばかり行われると、精神的バランスを欠き、それが崩れたまま大人へと成長してしまいます。同様に悪いのは、養育ばかりで訓練をしないことです。聖書の中で、神が愛と慈しみを示されるとき、養育する親にご自身をなぞらえておられます。「母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、エルサレムであなたがたは慰められる。」(イザヤ66:13)。「あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。(ルカ11:11-13)
子どもは、神の贈り物であることを覚えておかなければなりません。「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。」(詩篇127:3)。
◆誰が御座についているのか
子どもへの訓練・指導・愛育・養育は、将来に多大な影響を及ぼします。親はどのように子どもに良い、もしくは悪い影響を及ぼしていくのでしよう。信仰の篤い親は、信仰の篤い子どもを生み出し、罪の深い親は、罪の深い子どもを生み出します。「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」(出エジプト20・6)。しかし、信仰深い親でさえ、自分の子どもを適切に育てることを怠り、神の国からその子を失ってしまうことがあります。何と悲劇的なことでしょう。子どもへの教育によって、神に対する考え方に影響が出てしまうのです。
ある神学校の教授が、“父なる神のご性質”を学生たちに理解させるのに大変苦労していたことを思い出します。ある時、「父なる神の絵を描くように」と生徒たちに言うと、何人かは、天から彼らに稲妻を投げつける、怒り狂った専制君主のような姿を描き、他の者は空っぽの御座を描き、さらに他の者は感情を持たない、冷淡な神を描きました。
それぞれの学生たちと会って、絵のことを尋ねてみると、彼らは自分たちの父親をモデルとしてそれぞれの絵を描いたことがわかりました。ある学生の父親は、専制君主のような人物で、愛情を持たずに家庭を支配していました。他の学生は子どもの時に父親から見捨てられていました。また、同じ家に住んではいても子どもには無関心な父のもとで、あるいは仕事が忙しくて父親不在の状態で育っている学生もいました。愛情深い神の姿を描いたのは、ほんの一握りの生徒だけでした。これを描いた学生たちは、愛情深い家庭環境の中で育っていました。興味深いのは、天の神のイメージに、地上の父親像が反映されていたことです。
何と悲しいことでしょう。神から与えられた役割を親が果たさない時、子どもは大人になっても神との関係や概念に影響を受けることが、このちょっとしたテストでわかりました。その後、学生たちは、地上の間違った父親の姿が、天の父の肖像となって投影されていくことを理解し、彼らの概念を訂正することができました。
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