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◆顔を向ける
原語では「顔を向ける」という言葉を直訳すると「顔を上げる=見上げる」という表現になります。「主がみ顔を見せてくださる」ということです。反対の表現は「主は私たちから顔を隠される」となります。
古代エジプトでは、ファラオ(古代エジプト国王の称号)に呼び出された人々は、顔を上げて王の顔を見ることができませんでした。王が「顔を上げてもよい」と許した時でさえ、玉座から見下げた状態で人々を見るだけで、人々を励ましたり元気づけたりするようなことは絶対にありませんでした。
「顔を上げる」とは見上げることです。「彼は窓を見上げて、『だれか私にくみする者はいないか。だれかいないか。』と言った。二、三人の宦官が彼を見おろしていた」(第1列王9:32)。つまり、親切にする人の方ではなく、される方から顔を上げるということです。
古代、神が人間に顔を上げられるということは、人々には信じられないことでした。他の聖書箇所でも分かるように「主が人々に顔を上げられる」ということは、「人々に微笑んでくださっている」、または「友人になろうと手を差し伸べてくださっている」ということです。このように主から歩み寄ってくださることは、私たちに平安を与えるだけでなく、心から「友よ、私は味方だよ」と語りかけてくださっていることなのです。
考えてみてください。主が共にあり、その上ニコニコしながら私たちに愛情を示してくださっているのです。主はご自分の方からみ手を差し伸べてくださいます。何と素晴らしく、心強いことでしょう。この偉大な神が、深い愛を持って私たちを見守っていてくださるのです。
◆平安を与える
「平安(シャローム)」は聖書の始めから終わりまで使われている言葉です。現在、イスラエルではお店に入った時や出る時に、店員が「シャローム」と言います。また道で人に出会った時も挨拶として「シャローム」が交わされています。
「シャローム」は素晴らしい言葉で、さまざまな意味が含まれています。例えば、「争いが全くない」「平安」「完了」「実現」「完全にそろう」「統一体」「復活」などです。また、「さまざまな困難に打ち勝って得た完成、完了」などの意味もあります。例えて言うなら、囚われの身だった私のために、誰かが代わって負債を返す、または牢獄から出られるように保釈金を支払ってくれる、刑務所から連れ出してくれるなどの「解放の平安」、これがシャロームです。それは約束を果たすことでもあり、契約の完了を意味します。つまり両方の人間関係がシャロームの状態であり、平和を取り戻したことになります。「何かが完了し心身が健全になった」とも言えます。また聖書的な言い回しでは「完全であることを示す神殿の祭壇の石」、「主と共にいる祭壇」が本当の意味での平安を表します。
また、シャロームは親睦の約束でもあり、「主のみ手の中で私たちは完成される」という意味でもあります。(士師4:17、民数25:12、イザヤ54:10)
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