ですから「主のみ顔の光を私たちに輝かせてください」とアロンのように祝祷を暗唱する時、それは「主よ。そばに来てください」と嘆願していることになります。主のおられる所には光が輝き、光は命と繁栄を象徴します。光を見るとは、誕生し、命の光を得て生きていると知ることです。
「主のみ顔の光を私たちに照らしてください」とは、「私たちを元気づけてください」「理解力をください」という意味にもなります。「光」という単語を辞書、聖書で調べてみてください。いろいろな意味に使われていることが分かります。例えば「主は世に光をくださる」「主は私の光と救いです」などです。光のある所には主がおられます。なぜなら神は光だからです。
◆恵み深い
「……そしてあなたを恵まれますように」と締めくくられている祈りの句がありますが、「恵み深い」という言葉の原形は「親切」です。「親切」とは、「助ける」「心から困っている人を助ける」「特に人の親切を受ける価値がないと思われている人が、優れた人から恩恵を受ける」などの意味があります。
恵み深い行為とは、受ける価値のない人に何かを無償で与えることです。上下関係の中で、立場の下の者(部下)が上司などにお礼や習慣で贈り物を贈るようなことではありません。受け取る正当な理由がないにも関わらずに相手に与えることです。例えて言うなら、道端に住んでいる衣服もどろどろに汚れたホームレスの人に、あえて自分から進んで親切にするようなことを言います。主のみ前では、私たちがそのホームレスの人々なのです。「私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみな、不潔な着物のようです。」(イザヤ64:6)。私たちは恵みを受けるような者ではありませんが、主のあわれみと恵みの中で祝福されているのです。孤独や困難、そして罪を犯している、そのさなかでさえ主は来てくださいます。そして私たちは、主に面と向かって助けを求め、赦しを得ることができるのです。
あなたは主の恵みが必要ですか。私は必要としています。主の恵みがなければ、神の国を手に入れることはできません。毎日の行動に比例した扱いをされるなら、私たちは光の中に留まることができず、暗闇の中にいるはずです。幸い主の恩恵により、光の中に入ることができました。主は恵み深い方であり、罪を赦してくださる愛の神です。
■主が御顔をあなたに向け、平安を与えられるように
「主はみ顔をあなたに向けられる」とは、「主がみ顔を上げてくださる」「主がそばにいてくださる」「主の平安(シャローム)をいただく」ということです。ヘブル語らしい表現の一つに、言葉を繰り返して強調する方法があります。例えば、「ガドル」(大きい)という言葉を「ガドル・ガドル」と繰返し並べると、最上級のサイズ、「一番大きいこと」を表します。ですからこの祈りの中に、「主のみ顔」が繰り返し記されていることは、「主が私たちと一緒にいてくださる」という素晴らしいことを強調しているのです。
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