ここで一番関心を引くのは、時間の経過です。使徒12章にヘロデの死が記されていますが、それは紀元43年のことでした。ということは、ペテロが主を信じてから13年が経っていたにもかかわらず、それまで一度も福音を異邦人と分け合ったことがなかったということになります。このことから、ペテロも初期の信徒も、他民族とは交流を持っていなかったと言えます。
イエスは、初めから、ユダヤ人以外の人々にも手をさし伸べられました。取税人や売春婦と食事をしたり、神の愛と救いを伝えるためにサマリヤ人とも話をしたりしました。もちろん、福音はすべての人のものですが、当時の弟子や初期の教会がそれを理解するのには、ずいぶん長い時間がかかったのです。
◆2.弟子たちはローマ人をひどく嫌っていた
「人種差別による分離」を良いことだと信じる人たちが最も敬遠していたのは、ローマ人でした。福音書をお読みになれば、これは一目瞭然です。「愛」に関して多く書かれている福音書の中でも、ローマとその制度に対する憎しみを感じ取ることができます。それでは、ユダヤ人が彼らを嫌う理由とは何なのでしょうか。
使徒ペテロが生きていた時よりももっとさかのぼって、彼の曾祖父の時代、ガリラヤはかなりギリシャ化した異教の地になっていました。当時のユダヤ政府は、ガリラヤを元のユダヤの土地に戻すため、熱心なユダヤ教徒たちをこの地方へ送り込んでいました。その新顔たちは、ユダヤ教を熱狂的に信奉する根本主義者であったことは間違いありません。
ローマがガリラヤを征服した時、彼らは直ちに、ガリラヤをユダヤの土地として復興しようとする活動をすべて消し去ろうとしました。当然ペテロの時代になっても、初期移住者の子孫である人々は、ローマ帝国の一方的な侵入を好むはずがありません。ですから、イエスの弟子たちは、聖書の教えとイスラエルの教育に反した古代ローマの政策を嫌い、それを撲滅したいと考えていました。古代ローマは、聖書の教えの重要性をあざ笑い、悪の行為を支持したのです。
イエスの時代のガリラヤ湖周辺は、二つのグループに分かれていました。一つはユダヤ側、つまりイエスに従うグループで、湖の北側の一部、北西部とベツサイダ、カペナウム、そしてゲネサレ、マグダラの地域に集まっていました。もう一方のグループは、ギリシャの影響を受けた人々で、前者のグループ以外の地域から成り立っており、聖書によると「反対側」のグループと言っています。
もちろん、イエスの弟子たちは、イエスに従う地域側に住んでいました。この信心深いユダヤ人のグループは、ローマに対抗し、二か所の安全な場所を確保しました。それはアルベルの断崖とゴラン高原の傾斜にあるガムラです。
アルベルは、垂直に切り立った断崖から海が一望できる高い所にあり、洞窟がいくつもあります。山の上からロープで降りる以外、その洞窟へ行く方法はありませんでした。一度洞窟に入ってしまえば安全でした。
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