また、欲望を正当化するために、神のみことばを不適切に使用したりしないように注意しなければなりません。恵という名前の女性と結婚することを願っていた男性がいました。彼は聖書を軽い調子でぱっと開き、「恵みが、あなたと共にあるように」の個所を指差し、強引に彼女と結婚してしまったそうです。このような人であってはなりません。また、聖書に「慌てふためてはいけない」と書いているからといって、絶対に急いで動こうとしない人のようであっても困ります。これらは、自分の願いを正当化する聖書箇所を探し出し、それを理由に事を進める、勝手な解釈に基づいたみことばによる根拠付けです。まず、他の人々に相談してみましょう。もしも、あなたが素直に耳を傾けようとするなら、皆が間違いを教えてくれるでしよう。
2:霊において確かにそれが自分への導きだというしるしと平安、そして確信があるか
私たちは皆一人ひとりが特別で、それぞれ違った召しを与えられているユニークな存在です。個人に対する神のみ心は、他の人へのみ心とは違います。あなたの身近な人物に、「持ち物すべて売り払い、バングラデシュへ行きなさい」という召しが与えられたとします。あなたがそれをできないからといって悩まないでください。バングラデシュへ召されているのは、あなたではありませんから安心しましょう。しかし、あなた自身が呼ばれている時には、はっきりと「確かに主のみ心である」と知ることでしょう。
時には、従うのが難しいと思えることを求められます。そんな時、それが本当に自分に言われていることだと信じるのが嫌で、何とかそれから抜け出そうとします。
5月号の「主が導かれるところへ私は従っていきます-パート1」で、神がイスラエルに召しておられると知っていながら、私がそれからどのように逃げようとしたかをお話しました。もう一度開いてご覧になれば、あなた自身にも同じよう心経験があったのを思い出されるかもしれません。
私たちは主を待ち望み、主が心に働いてくださる時間を待つ必要があります。私たちへの召しを呼びかけておられる主の聖なるみ霊に、知らんふりはいけません。
また、私たちは霊的な世界に生きている存在であり、霊的にどのようなものか、吟味するよう教えられています。ですから、自分に語りかける声が、確かに主からのものかどうか確認すべきです。この世には、さまざまな行き過ぎが存在しますが、それらはある一点の真理を示しています。たとえば、アメリカで起こつた大量猟奇殺人のほとんどのケースで、犯人たちは「神に命じられてやった」と言っています。もちろんそれは真の神ではありません。しかし人間はこのように、サタンの欺きに乗せられてしまうのです。
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