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 ですからパウロは、新しい人生を勝ち取っていくために、古い生き方を捨てて、生きた供え物となりなさいと勧めています。「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:1-2)

◆バランスを保つ
 私たちはバランスを保ちつつ生きなければなりません。

 これは、あまりにも天国のことに心を奪われて、肉の世を否定するようになってはいけないということです。世をご自分のものに変えるために、神は私たちを地上に置かれました。ですから、世俗から退き霊的な隠者になるとか、または独善的になり過ぎて、愛をもって人々を主のもとに導かず、かえって切り捨てるようになってはなりません。

 クムランのエッセネ派や、初期のクリスチャン隠者などは、このバランスを欠いた良い例です。エッセネ派の人々はクムランヘ退き、またクリスチャンの隠者たちもユダヤ荒野の洞穴に引きこもって生涯を送りました。どちらも他の人々から自分たちを分離したのです。これではいったいどうやって、神が与えてくださる豊かな人生の証人となり、人々を神のみ国に導くことができるでしょう。

 パリサイ派の人々は独善的な人々を表す一列です。彼らについてイエスは、「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません」(マタイ23:2-3)と教えています。彼らは神のみことばを知っていましたが、行ないがあまりにも独善的であったために、自分以外のすべてを裁くようになり、さらにその自己正義が神との関係を妨げるプライドになってしまいました。イエスのたとえ話にも、パリサイ人が、高慢な態度で捧げた十分の一の捧げ物よりも、貧しい寡婦の精一杯の捧げ物が神を喜ばせたとあります。また公の場で、人々の賞賛を得るために施しや断食をすることを、イエスは厳しく叱られ、むしろ神に見てもらうために隠れたところで捧げなさいと言われました。

 霊的スーパーマンのようであることは、実は全く「スーパー」でも「霊的」でもなく、むしろ自己正義に基づいた度を越した振る舞いであって、罪と言わざるをえません。

 私自身、全くこのとおりの人物でした。クリスチャンとして新生した十代の頃、私は非常に熱心で、自分と同じように家族にも救われてほしいと一生懸命でした。しかし私の個人的聖戦の結果は、成功とは程遠いものでした。寄宿制高校から遠くの大学へ進学した私は、帰郷するたびに彼らを「聖なる家族」にしようとしたのです。父の酒瓶の中身を流しに空け、母の雑誌から占星術のペ一ジを破り捨て、妹の煙草をゴミ箱に投げ入れました。そしてイエスについて語り、どうすれば救われるのかを説明しました。皆さまには、私の証しがいかにみじめな結果に終わったかおわかりになると思います。また、休暇が終わって私が学校へ戻ることを、家族がどれほど喜んだか容易に想像がつくと思います。

 
 
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