イスラエルにおける、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫たちの生活の中では、これこそが最も基本的な召しでした。『選ばれし民』一彼らがこう呼ばれた理由の一つは、イスラエルの地で聖書に基づいた生活を営むことでした。そして世界の国々がそれを見て、彼らの中に真の神を見いだし、その家族に加わりたいと望むようになることでした。「多くの民が来て言う。『さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。』それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。」(イザヤ2:3)
クリスチャンもまた、己の生き方をとおして神のメッセージを世に示すために召されていると、パウロは言っています。「私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心にしるされていて、すべての人に知られ、また読まれてし、るのです。あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神のみ霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。」(第2コリント3:2-3)
神の購いを知らせる「生きた伝達者」というこの大いなる役割を、私たちはいかに成し遂げればよいのでしようか。
私たちの歩みが、神のみ心により叶うようになること」によってそれは達成されると、パウロはローマ書で述べています。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」(ローマ8:28-29)
ピリピ書でも、神の目的の中に留まり、日々救いを達成する歩みを続けるように語られています。「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。」(ピリピ2:12-16)
単純に言うなら、私たちが勝手にあちらこちらへ手を伸ばし始める前に、私たちの内側にしっかりと住まわれることを、神は望んでおられるということです。生活の中に起こるすべての出来事は、私たちをキリストの似姿に近づけ、一致させるために起こされます。また世の暗闇の中で、光輝く標識として活かされるために、私たちに命が与えられています。これこそ、どこで何をしていようと、変わることがない基本的な召しです。
しかし、現実にはなかなかキリストのように行動しておらず、世を照らす光としての役割を果たし切れていない私たちにとって、これは本当に大変なご命令です。時には世的なことにとらわれて、後退することさえあります。神のご計画全体に混乱をもたらすのは罪です。そして方向を狂わせ、救いに導こうとする主の目的から、私たちを遠ざけてしまいます。
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