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 「救い主」としての神のご性質はヨハネ3章16節に明記されています。「神はそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 「主権者」として、イエスはこう言われました。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」(マタイ28:18)。主こそ、私たちが道を外れないように従い、導きを求めるべき唯一のお方です。

 イエスによって成し遂げられた罪の贖いを信じ、救いをいただいた私たちクリスチャンは、神の王国の民です。神なくして存在すること、また神なしで永遠に生きなければならない状態から私たちは救われたのです。しかし、イエスを人生の真の主として迎え入れる、第二のステップに踏み出している人は、果たしてどれほど存在するでしょう。

 イエスを「救い主」、そして「主権者」として受け入れない限り、皆さまの人生に与えられている、真のみ心を知ることは決してありません。なぜでしょうか。

 それはイエスが心の中心にいらっしゃらないために、そこに私たちの生活をコントロールする偶像、またその他の影響が入り込むからです。最大の偶像は、私たちの心の王座を独占し、神の支配を拒む、自分自身のエゴかもしれません。自分の素晴らしい行いを列挙し、「だから祝福されて当然だ」と神に主張するような自我が邪魔をするのです。こんな時、態度を改め、神との関係を変えていく必要があります。へりくだって主を求め、主がくださった新しい人生を用いて、主のために何ができるのかを教えていただき、そしてその具体化に取り掛かりましょう。

 どのように偶像が入り込んでくるのでしょう。偶像とは単なる刻まれた像だけではありません。神と私たちの間に割り込んで交わりを妨げる、あらゆる事柄を指します。それらは私たちの注意を逸らし、主との交わりを邪魔するのです。悲しいことに、私たちは神より先にそのようなものに関心を向けてしまう愚かな存在です。

 どのようなものが、偶像と成りえるのでしょうか。

 その一つが「悪い習慣」です。これこそ、私たちに自己敗北をさせ、清い生活を奪い取って、悪循環のなかに留め置く原因となっています。ガラテヤ5章17節から21節には、人間が習慣的に行ってしまう、肉の行いのリストが載っています。パウロは、神の助けでそれらと縁を切るようにと勧めています。彼は、第1コリント6章19節から20節でも次のように言っています。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」

 
 
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