そして、前日の奇跡の持つ深い意味について教え始め、「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」(27節)と言われました。他の箇所でも、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による」(マタイ4:4)と、肉のための食物はすぐ無くなるが、霊的な食物は永遠の命に至らせると教えています。
彼らは好奇心を募らせ、こうたずねずにはいられませんでした。「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」それに対しイエスは、「あなた方が、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです」(28-29節)と答えられました。行いではなく、天から遣わされたイエスを信じることによってのみ救われる、と教えられたのです。「あなた方は、神の恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分目身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。誰も誇ることのないためです。」(エペソ2:8-9)。「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)
ヨハネ6章で「永遠の命に至る食物」とイエスがおっしゃるのを聞いた人々は、荒野で神が天から与えられたマナのことを思いました(出エジプト16:4)。それで彼らはイエスに「それでは、私たちが見て信じるために、しるしとして何をくださいますか。どのようなことをなさいますか。私たちの先祖は荒野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた』と書いてあるとおりです」(30-31節)と迫ります。
そこでイエスは言われました。「私が命のパンです。」(32-33、35節)ユダヤ人たちは、イエスが「私は天からくだって来たパンである。」と言われたので、「まさか!イエスは私たちのよく知っている、大工のヨセフとマリヤの息子じゃないか。どうして『私は天から下ってきたパンである』(41節)などと言うのだろう」とつぶやきました。
イエスは彼らにつぶやくのをやめるように言い、神から理解する能力が与えられている者にのみにわかる、驚くべきことを言われました。マナを食べたイスラエル人たちはすでに死んだこと、そして「私は天から下ってきた生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。また私が与えようとするパンは、世のいのちのための、私の肉です」と語られました。(51節)
人々にはイエスの言っていることがわかりませんでした。ユダヤ人の律法は、もちろん人肉を食べることを禁じています。人々は互いに議論を始めました。主は一体何を言われたのでしょう。
◆神は生命の源
神は命の源であり、与え主です。子であるイエスの命は、神の命の中にあります(ヨハネ1:4、同5:26)。主は朽ちることのない、真の命を与えるために来られました。罪は命である神から、私たちを切り離します。そして私たちは肉においても、霊においても死ぬのです。世の人々に命を与えるため、天から下ってくださったメシア・イエスは、命のパンです。イスラエル人が後に飽きてうんざりした、肉の空腹を癒やすために与えられたマナとは全く違います。主は霊の命を与え、死が永遠に無くなるようにしてくださるパンなのです。
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