◆パンは命の糧
パンは古代人の主食で、命の糧と思われていました。(レビ記26:26)
聖書には、パンとワインは神からいただいた物であると書かれています。ですから神の寛大さに感謝し、食事の前に祈るのです。ユダヤ人が祈る時、いつもこの「パンとワイン」を思い感謝を捧げます。毎週の安息日では、「主をたたえよ。王の王。全人類の王よ」と祈り、ワインに関しても同様の祈りを捧げます。また、ユダヤの習慣では、ナイフは破滅の武器と考えられ、命の源であるパンには使いません。神が準備されたものに敬意を払うしるしとして、手でパンをちぎったのです。ですから、新約聖書に「イエスはパンを裂き」と書かれているのです。主も敬虔な思いを持ってこれをなさったに違いありません。
古代イスラエルの神殿では、神がイスラエルと結ばれた永遠の契約を記念する捧げ物として、12個のパンが常時備えられていて、一週間ごとに補充していました。「神の存在」、「生命のパン」を、人々の前に現わすためです。
イエスの時代、貧しいイスラエル人の主食は、大麦のパンとオリーブでした(例外的にガリラヤ湖のそばに住んでいた人々は、魚も食べることができた)。ですから、パンは文字どおり命の糧でした。大昔から「パン」と言えば「食糧」と同意語でした(創世記3:19、士師記13:16、ルカ15:17)。そういうわけで、「私たちの日用の糧を、今日もお与えください」と神にお願いするのです。
古代人はパンを物々交換にも使いました。聖書では、パンがどれほど深い意味をもち、大切であったかを現す表現が、さまざまなことに関連して登場してきます。パンと苦難(イザヤ30:20)。パンと悲しみと涙(詩篇80:5)。だまし取ったパン(箴言20:17)。お高くとまり、食物に事欠くと小さな仕事で糧を得る人(箴言12:9、イザヤ3:7)。霊的に貧しい人。食物に欠く人(第1サムエル2:36)。神を敬う家族に与えられる食物(詩篇37:25)。自分だけ満腹になる人(エゼキエル16:49)。不義のパン(箴言4:17)。怠惰のパン(箴言31:27)
◆契約
古代の人々は、敵と和平を保つため、塩を用いて契約を交わしました。その方法は、一方が食事用ナイフに塩を振り、もう一方も同じことをし、その塩を少しずつ食べるのです。この習慣が後にパンに塩を振り、敵側と一緒に食べる形となりました。
パンを裂きながら食事をすることは、和解と親交のしるしです。古代イスラエルで食事を共にするということは、空腹を満たすだけでなく、親善とお互いの義務を誓い合う意味を持っていました。そして食卓とは、「聖卓」を意味し、パンは「神が平和と和解をもたらせてくださる」という意味だったのです。今日でもアラブ人は、村同士が敵対したとき、和解のために共に食事をします。
この食事による和解契約方法は、聖書の中に何度も記載されています。メルキゼデクとアブラムはお互いに契約を確認しました(創世記14:18)。イサクとアビメレク王も契約を結びました(創世記26:26-31)。ヤコブとラバンは境界線を尊重すると、固く約束しました(創世記31:53-54)。イスラエルの長老70人は、主の前で一緒に食事をしました(出エジプト24:9-11)。主は羊飼いですから、必要な物はみな与えてくださいます。私の敵の前で、主は私のために食事を整えてくださるのです。(詩篇23)
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