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 ヤコブは、神が私たちを誘惑することは決してないと言っています。「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」(ヤコブ1:13-15)

 ラビ・アブラハム・P.ブロックは次のように書いています。「人の心には、あらゆる欲情が存在します。一般に神学者たちは、欲情を人の内なる邪悪な衝動として扱います。ある人々はこれらの衝動をサタンによるものとし、サタンが神の意図される世界の秩序をばらばらにするために、人々の内にそれを植え付けたと見ています。」

 M.G.カイルは誘惑を「神が設けた限界以上に行くことを欲する、神からの欲望」ととらえ、誘惑の自然誘因説を提案しています。誘惑によって引き起こされる結末は、神からの霊的断絶であり、悪徳の奴隷と化すことです。

 誘惑自体は罪ではありません。罪は目分の肉欲を満たそうとする欲情のゆえに、誘惑に陥った時に発生するからです。私たちは肉の罪深い'性質のゆえに誘惑に陥るのであり、だからこそ、誘惑が来るとき神にすがる必要があります。かのモーセは「はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました」とあります(ヘブル11:25)。これらのことから、しばしば誘惑が非常に魅力的な、拒絶しがたい外観を備えていることがわかります。

 これについて、パウロはガラテヤの人々に次のように語っています。「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。」(ガラテヤ5:16-26)またローマ書8章には、「聖霊にあって歩む人生」対「肉にある歩み」について、非常に優れた個所がありますので、お読みください。

 誘惑はすべての信徒に来るものでしょうか。答えは「イエス」です。それを拒絶できるでしょうか。間違いなくできます。容易ではないかもしれませんが、私たちはこれに対して自分自身の力により頼む必要がないのです。主に助けを求めることができます。

 
 
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