◆イエスに教えられる「赦し」
ヨハネの福音書8章1節から11節で、悔い改めと赦しに関する最良の例をイエスは与えてくださっています。ここには、姦淫の現行犯で捕らえられ、パリサイ人たちによってイエスのもとに連れてこられた一人の女性について書かれています。モーセの律法では、彼女の罪は石打ちの処刑に値します。彼らは、イエスが彼女をどのように裁くかを試そうとしたのです。
イエスは地面に指で何かを書いておられました。そしてパリサイ派の人にしつこく質問され続けます。するとイエスは、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい。」と答えられました。主は地面に何を書いておられたのでしょう。もしかすると、彼ら全員が犯したであろう罪のリストだったかもしれません。あるいは神が罪を赦し、また私たちが他者を赦すように願うことを示す、キーワードのようなものかもしれません。何であったにせよ、「罪のない者から最初の石を投げなさい。」と主が言われると、彼らは全員その場を去っていきました。誰もこの女性を訴えるために残りませんでした。
ここから学ぶべきことは、自分自身が罪を犯し、赦される必要があるときに、他人の罪を早まって裁いてはいけないということです。マタイの福音書7章1節から5節でイエスはおっしゃっています。「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」
また、これに続けて、自分自身の目にまず取り除かれるべき梁がぶら下がっているのに、他人の目のちりを気にしてはいけないともおっしゃっています。
さて、それからイエスはその女性と語り、赦し、「行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と言われました。主が「今からは決して罪を犯してはなりません。」と言われたことに注意してください。主は「行って、もっと罪を犯しなさい。」とは言わなかったのです。もちろん皆さまは、そんなことは当たり前のことだと受け取られるでしょう。しかし私たちの多くは、継続的に赦してくださる神のあわれみにすがりながらも、罪深い行いを繰り返すことで、「決して罪を犯してはならない」という教えに反し、有罪とされるのです。それが弱さから出た、純粋な失敗、過ちである限り、主は私たちを赦してくださるでしょう。しかし、神のあわれみを試すようなことがないようにご注意ください。もしあなたが「故意の罪の習慣」を持っているのであれば、それを後悔も感じないで何度も何度も繰り返しているのなら、あなたはヨハネが言うところの「死に至る罪」において有罪とされるかもしれません。律法には「計画された罪に赦しはない」と書かれているからです。ヨハネは言っています。「神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。」(第1ヨハネ5:18)
私たちはいつも自分自身を吟味し続け、義の道を歩み続けなければなりません。
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