ですから、「救いの達成」には次のステップが必要です。
- 自分の力では取り除くことができない、私たちの罪深い性質を絶えず意識する姿勢を積極的に保つ。
- 罪の汚れを取り除く(単に覆うのではなく)のは、イエスが流された血潮によってのみもたらされる。そして、神の恵みをただ受け取ることによって与えられることを知る。
- 悔い改め、そこから来る恵みと赦しを受け取る。
悔い改めだけでは、罪を取り除く力はありません。それによって与えられる主の赦しによって罪がきよめられるのです。悔い改めとは、罪に対する自分の気持ちを神に言い表すことによって、生き方が変えられ、人生に赦しの恵みが現されるように導くものです。
悔い改めと赦しの祝福、恵みについてここまで見てきました。では、悔い改めと赦しとはいったい何なのか、もう少し具体的に見てみることにしましょう。
◆悔い改めとは
ユダヤの賢人たちは、「死ぬ前に必ず悔い改めよ。」と教えてきました。ラビ・エリエゼルの弟子の一人が、「私たちはいつ死ぬのかをどうやって知るでしょう」と尋ねると、ラビ・エリエゼルは答えました。「誰も知ることはできない。だから毎日、悔い改めなさい。」
◆悔い改めとは何なのでしょうか
それは単純に「方向転換」のことです。悔い改めを表すヘブル語「ティシューヴァー」は、「神に立ち帰る」あるいは「戻る」という意味を含みます。それは、自分の生き方を変える決心の中で、まず罪に顔を背け、次に神に顔を向けるという二つのステップを踏みます。神が私たちに与えてくださる恵みは、悔い改めたことの証、すなわち「新しい生き方」という方向へと私たちを導きます。ティシューヴァーには、「牡牛の目に射かけられた矢」という意味も含まれています。罪は、的の中心へ向かう軌道から矢をそれさせ(的を外れさせ)、悔い改めは中心に向かう軌道へとその矢を戻します。預言者ホセアは言いました。「イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。あなたの不義がつまずきのもとであったからだ。あなたがたはことばを用意して、主に立ち返り、そして言え。『すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。』」(ホセア14:1、2)
悔い改めの教義では、人は神によって「方向転換をする」力が授けられていると考えられています。人は悪より善を選択することができ、そしてその向きを変える行動そのものが神の恵みを活性化し、働かせ、人を赦しに導くという考えです。赦しは神のご性質であり、神の赦しの姿は聖書中にちりばめられています。たとえば、「咎を赦し」(ミカ7:18)、「咎をお認めにならない」(詩篇32:2)、「罪やそむきを覚えていない」(詩篇25:7)、「そむきの罪を私たちから遠く離される」(詩篇103:12)、「私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました」(イザヤ38:17)、「海の深みに投げ入れ」(ミカ7:19)
|