ある日、戦闘終了間際になって、イスラエル空軍は自分たちの戦闘機を一機も失うことなくシリアのミグ90機を撃ち落としました。同日、イスラエルのある政府高官は、このめざましい戦果を「奇跡だ」として、次のようにコメントしました。「イスラエルは機械のトラブルや人間的落ち度のために、一機ぐらいは失って当然だった」
この作戦の目的は数週間のうちに達成されました。軍事力の低いレバノン中央政府は、PLOが撤退した後、1985年までイスラエル軍を自国に引き止めました。
1987年12月には、「インティファーダ」と呼ばれるパレスチナ蜂起が起こり、西岸とガザ地区のパレスチナ系住民の間に一気に広まりました。その結果、1967年以来、比較的温和な関係が続いていたイスラエル―パレスチナの境界地帯は争いの場と化しました。双方とも多数の死傷者を出し、どちらの人心も悲嘆と苦痛で満たされました。インティファーダは、現在の和平交渉が始められる1993年のオスロ協定まで6年間、続きました。
◆事実37
主のみ翼の陰に『湾岸戦争』
1989年、鉄のカーテンが崩れ始め、それまで何十年もイスラエルへの移住を妨げられてきた、北方の旧ソ連邦のユダヤ人たちが解放され始めました。以来、2万人近いエチオピア系ユダヤ人を含む、100万人を超える新移民者たちがイスラエルに到着しています。彼らは皆、イザヤ書43章5、6節の預言の成就によって導かれた人々でした。
一方、1991年、イラクに侵攻されたクウェートの主権回復を目的に始められた湾岸戦争は、イスラエルにも影響を及ぼしました。この戦争と全く無関係であったにもかかわらず、39発のスカッド・ミサイルがサダム・フセインの軍によってイスラエルに打ち込まれました。この攻撃の背景には、イスラエルに対するフセイン個人の根深い嫌悪がありました。また、欧米のみならず、イスラエルと国交を持たない多数のイスラム・アラブ諸国もイラクへの攻撃に参加していたため、この同盟連合を分裂させるために、イスラエルを戦争に引き込もうという狙いがあったのです。
化学兵器や生物兵器への恐怖が数週間にも亘って続いていたこのとき、イスラエル国民は詩篇91篇を祈っていました。「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。
私は主に申し上げよう。『わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。』と。……主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。
あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。 また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。」
化学兵器も生物兵器も、イスラエルに対して使用されることはありませんでした。1万1000軒のアパートが破壊されましたが、この破壊を直接的原因とする死者は一人だけでした。
イスラエルはこのとき本当に、彼女が宿る「主のみ翼の陰」に守られたのです。
|