◆事実35
エルサレムの地位
1980年、イスラエルの手によって統合されたエルサレムがその首都であることを再確認する特別な法律が、イスラエル内閣およびクネセットにより施行されました。エルサレムは、これまでユダヤ民族にとってのみの首都であり、他のいかなる国や民族の首都であったことは一度もありませんでした。これに対し、サウジアラビアの王位継承者ファハド皇太子は、「聖なる都をシオニストの侵略から守るためのジハード(聖戦)」を宣言しました。
このファハド皇太子の宣言への反応として、米国大使館も含む各国の外国大使館はテルアビブへ移転しました。しかし1990年、米国議会は米国大使館をテルアビブからエルサレムに移すべきであることを確認しました。1995年11月8日、米国議会はエルサレム米国大使館制定法(広法第104-45条)によって、
- 「統一されたエルサレム」をイスラエルの首都と認知し、
- 米国大使館はテルアビブからエルサレムに移転すべきである、と強く主張しました。米国上院は満場一致でこの移転に賛成票を投じました。
ところが、ビル・クリントン大統領がそれを承諾しませんでした。いったん米国大使館が移動すれば、おそらく他の国々もその例にならったことでしょう。
現在、エルサレムで生まれた米国市民には、正確に記載できる出生地がありません。彼らの出生証明証には、「イスラエル国エルサレム市」とは記載されず、単に「エルサレム」とだけ書かれています。米国務省は議会の決断に従うべきです。昨年の米大統領選挙において、ブッシュおよびゴアの両候補者は、大使館をエルサレムに移転するよう呼びかけています。
◆事実36
レバノンへの干渉とその波紋
1970年、パレスチナ解放機構(PLO)がフセイン王によってヨルダンから追放されて以来、イスラエルはレバノン各地のPLO基地からの爆撃やテロ攻撃を繰り返し経験しました。レバノン全土の大部分を占拠し、次に何をしてくるのか予測もつかないPLOの行動により、何千人ものイスラエル市民が命を奪われたり、負傷させられたりしました。
1982年6月、イスラエルはレバノンからPLOを根絶やしにするため、「ガリラヤの平和作戦」と呼ばれる軍事行動に乗り出しました。開戦当初、およそ100機に昇る米国製のイスラエルのジェット機が、同数のシリア軍のロシア製ミグ機が待つレバノンのベッカ峡谷に向けて飛び立ちました。イスラエル軍は、1973年に多数のイスラエル機を撃墜し、多くの犠牲者を出した、シリアのSAM地対空ミサイルとも対峙しなければなりませんでした。
|