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◆事実33
 六日戦争の勝利
 
1967年の六日戦争前、イスラエルはゴラン高原でのシリアによる砲撃や、シリア、エジプト、ヨルダンからのテロ急襲を断続的に受け続けていました。エジプトを筆頭に、近隣アラブ諸国は大規模な軍備の増強を行なっていました。特にエジプトは、シナイ半島のイスラエルとの国境地帯に多数の兵員と武器を配備し、1956年のスエズ運河封鎖における戦争以来、その地域に展開していた国連平和維持軍を強引に立ち退かせました。エジプトは再び紅海のティラン海峡を封鎖し、エイラット経由のイスラエル東方交易船舶を効果的に締め出すことで、ヨルダンと軍事同盟を結んだのです。

 この時点で、イスラエルは自己防衛のためエジプトに対する先制攻撃に乗り出し、エジプト空軍が地面から飛び立つ前に破壊しました。このとき、エジプト、ヨルダン、シリアからの反撃を受けています。

 六日戦争が終わった時点で、以前の休戦ラインは新しいものに書き換えられていました。西岸地区(ユダヤ、サマリヤ)、ガザ地区、シナイ半島、そしてゴラン高原がイスラエルの支配下となっていました。(地図3参照)

◆事実34
 アラブの不意打ち『ヨム・キプール戦争』
 1973年10月6日の大贖罪日(ヨム・キプール)に、シリアとエジプトがイスラエルへの不意打ち攻撃を共謀しました。大贖罪日は、ユダヤ人の暦で最も神聖かつ厳粛な日です。この日は25時間、完全に飲食を絶ち、おのおのが罪の赦しを請う祈りをシナゴーグで捧げます。この日はどこの店も営業せず、道には車も走らず、テレビやラジオの放送もなく、何の設備も動かさないことになっています。

 そこへエジプト軍がスエズ運河を横断する一方、シリア軍の部隊がゴラン高原から侵入してきました。この不意打ちは、イスラエルにとって命取りになりかねないものでした。しかし、神がこの争いに介入されたのです。ゴラン高原では、応援の増援部隊が到着するまで、アビガドル・カラハニ司令官と彼の戦車部隊がシリア軍を食い止めることに成功しました。

 続く3週間の間に、イスラエル国防軍は戦いの流れを逆転させ、侵略者たちを撃退してしまいました。エジプト軍をスエズ運河から本国に追い返し、シリア軍も押し返して、シリアの首都ダマスカスまであと32kmというところまで追撃しました。そして10月22日、戦争が終結したのです。

 アラブ側は、イスラエルによる和平へのアピールを継続的に拒絶し続けてきました。しかし1977年11月、エジプトのアンワル・サダト大統領のエルサレム訪問によって、その果てしない悪循環に終止符が打たれました。1978年、米国のキャンプ・デービッドで和平協定への交渉が行われ、1979年3月、ホワイト・ハウスの庭園の芝上で正式な和平条約への調印が交わされました。この出来事によってエジプトは、1948年以来、イスラエルが平和を求め差し伸べ続けてきた手を握った、最初のアラブ国となりました。

 
 
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