BFP編集部 2001年3月
 ◆事実30
アラブの敗北と領土問題の浮上
アラブは1947年の国連分割案受け入れを拒否し、彼らに割り当てられた土地を受け取りませんでした。代わりに、エジプト、シリア、トランスヨルダン、レバノン、そしてイラクによるアラブ連合軍がイスラエルを追い詰めようと、ただちに攻め込んできました。
1948年5月15日、アラブ同盟の事務総長アザム・パシャは、カイロで次のように発言しています。「これは絶滅戦争となり、モンゴル軍や十字軍による大虐殺のような歴史的大事件として、後世の語り草となるであろう」(地図1と2参照)
幸い、彼の予言は的中せず、イスラエルは国連から分配された土地を維持できただけでなく、さらにいくつかの領土までも勝ち取りました。国連の分割案によって、パレスチナのアラブ国家として選定されていた土地の残りは、ヨルダン川西岸はヨルダン、ガザはエジプトにと、他のアラブ諸国によって占領されました。
イスラエルが国家として確立されると、第二次世界大戦のユダヤ難民や、中東イスラム圏のユダヤ人たちが続々とこの国へ押し寄せ始めました。1948年から1972年の間に、140万人以上もの人々がイスラエルへ移住しています。こうした移民者たちがこの国に根を下ろすには、各種の訓練やヘブル語教育を受ける必要がありました。さらに、彼らの多くが医療ケアを必要としていました。そのための必要経費は、イスラエル国民と世界中のユダヤ社会が負担しました。
一方、パレスチナ西部に住んでいたパレスチナ系アラブ人たちにとっては、1947年に出された土地分割案を拒絶し、戦争を起こしてしまったことが、大きな損失を招くことになります。それから後にも幾度も与えられることになる、正式な国土取得の最初のチャンスを逃してしまったからです。彼らの信念である、「すべてを手に入れなければ意味がない」に固執しすぎたためでした。イスラエルの有名なアバ・エバン外交官は、彼らを次のように評しています。「パレスチナ人たちはチャンスを逃がすためのチャンスを逃したことがない。」
もともとこの土地に住んでいたアラブ人たちは、「もし連合がイスラエルに勝てば、新たに土地を与えよう。今は我々に味方しなさい」というアラブ連合の指導者たちの勧告に従いました。しかし、結果的にイスラエルが勝利したことによって、もともと所有していた土地までも失い、難民となってしまいました。一方、ユダヤ人たちはまともな武装も持たず、数の上でもはなはだしく劣勢であったにもかかわらず、海に追い落とされるどころか、本来の割り当て以上の領土までも獲得したのです。
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