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◆事実27
 第2次大戦が終わり、戦争中、ヨーロッパのユダヤ人たちの身に起こった恐ろしい悲劇が明らかになってきました。そこでユダヤ人国家建設をとおして、ホロコースト生存者たちの迅速な救済と社会復帰を強く求める声がそこら中から上がるようになります。英国もまた、第1次大戦以来維持してきた委任統治の監督役に疲労していました。パレスチナではアラブ・ユダヤ双方をなだめる努力をしつつ、そこから撤退する道を模索し始めます。世界のユダヤ人口の3分の1に当たる600万人の男女子どもの命を奪ったホロコーストは、ユダヤ人たちの上に、いまだに癒えない重い衝撃を与えています。しかしエゼキエル37章によれば、乾いた骨の満ちた谷、すなわち「イスラエルの全家」は、彼らの墓から息を吹き返して立ち上がり、イスラエルの地に入って「非常に大きな群集になった」と書かれています。この預言の成就が1948年に起こったのです。神ご自身がそれを行なわれました。

 イスラエル建国に先立ち、英国はアラブとユダヤ双方が満足できる和合協定の締結を試みましたが失敗に終わり、1947年初頭、国連にこの問題をゆだねます。

 国連は、11カ国からなる特別委員会(UNSCOP)をパレスチナへ調査に派遣します。そして、どちらも国全体を自分のものだと主張する、アラブとユダヤの二つのグループをそこに見いだします。 両民族の要求を満たすため、英国委任統治の終結と、さらに各人口の集中度合いに基づいてアラブ国家とユダヤ国家にこの地を分割する案をUNSCOPは提案しました。エルサレムは国際地区になるという計画でした(地図4参照)。

 この地におけるユダヤ国家の存在は、もうすでに既成事実でした。パレスチナのユダヤ人は強く独立を望んでおり、分割案で妥協する用意がありました。しかし、アラブはUNSCOP案を拒否します。世界は国連の決議案に強く賛成していたので、賛成33・反対13・棄権10という投票結果で、国連の土地分割案は1947年11月29日に採択されます。

 1947年、国連での討論の間中、パレスチナのアラブ高等委員会は戦争を盾に脅迫し続け、一方、ユダヤ機関のスポークスマンは平和をアピールし続けました。アラブ側スポークスマンだったジャマル・フセイニは1947年11月24日、国連に対し、「提案された分割案は、単に怒りと流血をもたらすだけであろう」と語りました。

 5日後、国連は土地分割案の投票を行い、アラブは国連決議の履行を妨害するため戦争を始めます。道路に地雷が仕掛けられ、ユダヤ人開拓地は孤立し、ユダヤ人護衛隊は待ち伏せによって襲撃されました。その週末までに105人ものユダヤ人が殺されました。それからも、エルサレムのアパートが爆破され、50人以上の男女子どもたちが殺されます。ヘブライ大学の学生35名がエルサレム近くの路上で虐殺されました。ユダヤ機関は爆破され、多くの死傷者を出しました。ユダヤ人医師や看護婦、科学者77名を乗せた護送車が、ハダッサ病院に向かう途中のスコープス山上で爆破され、全員が死亡しました。

 
 
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