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 当時、パレスチナに住んでいたアラブ人のおよそ80%は、借金に苦しみながら不在地主たちのために働く、オスマン帝国各地出身の小作農や、半遊牧民、またベドウィンたちでした。ユダヤ人によって購入された土地のほとんどは、湿地や岩地、砂地が多いこと、そしてその他もろもろの理由から耕作に不向きとされ、ずっと開墾されずにきたものばかりでした。

 ピール委員会(英国、1937年)は次のように報告しています。「維持しきれないほどの良い土地を、あまりにも広くユダヤ人たちが獲得したとアラブは非難する。現在、オレンジなどを茂らせているそれらの土地のほとんどは、購入された当時は砂埃の舞う丘々や沼地で、放置されたままの荒地だった」

 さらに、この不毛の土地にユダヤ人たちが払った額は、法外ともいえる高い値段でした。ほとんどが乾燥地帯、あるいは準乾燥地帯だった1944年のパレスチナで、ユダヤ人たちは1エーカー当たりの土地に1000〜1100ドル支払いました。それに対し、同年の米合衆国アイオワ州の肥沃な黒土1エーカー当たりの値段はおよそ110ドルでした(米国農業省による)。

◆事実21
 1897年、「近代シオニズムの父」テオドール・ヘルツェルに動かされたユダヤ人指導者たちが、スイスのバーゼルで第1回シオニスト会議を開催し、シオニズム運動が正式に始まります。彼らは、パレスチナの地におけるユダヤ人の古代の町々や文化の再復興と、聖所と自己決定権が持てるユダヤ人国家の回復を呼びかけました。

 1898年、テオドール・ヘルツェルは、エルサレムのヤッファ門外で皇帝ウィルヘルムに会見します。

 イギリス聖公会の牧師であり、聖書を信じるクリスチャン・シオニストであった、ウィリアム・ヘッケラーという人物がいます。彼は、パレスチナにユダヤ人の祖国を建設するヘルツェルの目標をともに支え、動機づけ、励まし続け、ヘルツェルに深い影響を与えました。ヘッケラーは聖書を読むうちに、そこに書かれている、「彼らの父祖の地に民を再び連れ戻す」と約束する預言の数々を、必ず神が履行されると信じるようになりました。

 1897年の第1回シオニスト会議で、「50年後には現代イスラエル国家が現実のものとなっている」とヘルツェルは明言しました。まさしく50年後の1947年、国連はイスラエルの建国を賛成過半数で認めました(1947年11月29日)。そして1948年5月14日、イスラエルの新しい国旗が掲揚されます。

 その間にも、ユダヤ人たちは世界中、至るところから次々と波のように帰還し始めます。これが1900年代初頭に起こった「第2回アリヤー」またはユダヤ人移民の第二波と呼ばれるものです。ロシアでは、あちこちで頻繁にポグロム(暴力や略奪を含む大迫害)が発生した結果、多数のユダヤ系住民が国外へ脱出しました。映画『屋根の上のバイオリン弾き』には、当時のユダヤ人たちの生活や、強制的に追放された様子が描かれています。彼らの一部はパレスチナへやって来ました。

 

 
 
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