BFP編集部 2001年2月
先月号では、アブラハムから19世紀までのイスラエルの歴史をたどりました。今回は20世紀、イスラエルの建国までの歴史を見ていきます。
◆事実18
19 世紀は、ヨーロッパの列強がその勢力の拡大を巡って争った、近代西洋文明勃興の時代でした。この影響は当時の宣教活動にもよく表れています。英米仏の学者たちは、競って聖書地理と聖書考古学の研究に乗り出します。エルサレムに各国の領事館が開かれ、蒸気船が、ヨーロッパから旅行者や貿易物資を運んでくるようになりました。また、郵便と電信が整えられ、そしてエルサレム、ヤッファ間を結ぶ最初の道が敷かれました。三つの大陸をつなぐ「交差点」としてのこの地の再生は、スエズ運河開通で加速化されます。
エルサレムに住むさまざまな民族グループの中でも、1818年以降、ユダヤ人が宗教的多数派となっていきます。1844年の最初の国勢調査では、ユダヤ人7120人、イスラム教徒5760人、そしてクリスチャンが3390人と、ユダヤ人口の優勢が確認できます。
1860年代に至るまで、エルサレムの住民は全員が城壁内の古代の町に住み、その城門はすべて安全のために毎日、閉じられていました。この時期、エルサレムの人口は、城壁内に全く余裕がない状態にまで膨らみます。1860年、モーゼス・フォーレ卿により、城壁外のヤッファ門を出たすぐそばに、最初のユダヤ人居住区であるミシケノット・シャアナイムが建設されます。続いてナハラト・シヴァ(1869年)、メア・シェアリム(1873〜75年)、そしてヤミン・モシェ(1892年)など、同じような七つの近隣市街が建てられます。これらはエルサレム新市街の核となりました。そのうちのいくつかは、今日のエルサレムで最も興味深く、古風な趣を持つ地区となっています。
1880年代には、ユダヤ人口はエルサレムの圧倒的多数派になっていました。
◆事実19
1880年代には、ユダヤ民族とイスラエルに関する聖書預言が次々と成就し始めます。
現代イスラエル国家は聖書のイスラエルと直接つながっています。その歴史と再生の過程が、聖書の預言に書かれた状態と著しく一致しているからです。ちょうど3500年昔、イスラエルの民を約束の地へ導き入れるための器としてヨシュアを準備されたように、神は私たちの時代にユダヤ人を先祖の地へ帰らせる準備をされました。
オスマン=トルコ帝国は1516〜1917年まで中東全域を支配しました。この400年間の厳しい統治の間に、パレスチナ(イスラエル)の地はほとんど遊牧民ばかりの、人口が希薄な場所と化しました。18世紀末には、この地のほとんどが不在地主たちの所有となり、貧しく落ちぶれた小作人たちに貸し出されていました。わずかしか開墾されず、全く顧みられないまま風雨に侵食された丘々、砂だらけの砂漠……。そして、マラリヤ性の湿地に侵食されつつある、以前は耕作地だった荒れ果てた土地が広がっていました。古代の灌漑システムや段畑、町々と村々は、形を留めつつもすっかり崩れていました。 |