1099年、最初のラテン・クリスチャン王国がブイヨンのゴッドフリーによって設立されました。そして1187年、イスラムの英雄サラディンが、十字軍からエルサレムを奪い取りました。1192年、獅子心王リチャードがエルサレムの再奪還を試みますが、失敗に終わりました。それでも、エジプトのイスラム勢力マムルークが、十字軍支配に終止符を打つ1291年まで、十字軍はこの地に留まり続けました。
十字軍は、おもに町々の防備と築城に力を注ぎました。また、より良い通商と熱心なキリスト教巡礼を促進するヨーロッパからの輸送路を開きました。この時代、この地はクリスチャンの支配下にはあっても、キリスト教国とはなりませんでした。
◆事実17
1291〜1516年まで、十字軍を追放したイスラム・マムルーク朝の統治が続きました。彼らはイスラエルを遠くダマスカスから管理し、この地方は忘れさられていきました。新たな十字軍遠征の恐れから、アッコー、ヤッファなどの港はつぶされ、国際的通商は中断されました。中心都市部は事実上の廃墟と化し、エルサレムの大部分は打ち捨てられたままというありさまでした。そして、そこに住み続けた小さなユダヤ人の共同体は、厳しい貧困にあえいでいました。マムルーク朝衰退期には、政治経済の大変動や疫病、イナゴの襲来、大地震など、ますます暗い影を濃くしていきました。
1517年、トルコのスルタン・セリムがエルサレムを征服し、イスラエルはオスマン帝国のものとなりました。トルコによる統治は、1917年まで続きました。
1535〜8年、トルコのスレイマン大帝がエルサレム周囲の城壁や壁を再建しました。1541年、イスラム教徒たちはユダヤ人の伝統でメシアの来臨があるとされる黄金門を、妨害の目的で封印しました。
オスマントルコはこの地を四つの地方に分け、ダマスカスの行政管理区域に入れました。
オスマン帝国統治の初期、この地にはおよそ1千家族のユダヤ人が住んでいました。その多くはエルサレム、ナブルス、へブロン、ガザ、サフェド、そしてガリラヤの村々に居住していたと推定されます。この中には、北アフリカやヨーロッパからの移民や、過去にこの地を離れたことが一度もないユダヤ人の子孫も含まれていました。
トルコ統治下で多くのユダヤ人たちがこの地に移住し、とりわけサフェドには1万近い定住者がいました。
イスラエル史を取り上げたこのシリーズ第2回では、19世紀から1948年5月14日のイスラエル建国までを取り上げたいと思います。それではまた来月まで。
エルサレムからシャローム |