◆事実13
一方、キリスト教は世界中へ広まっていきました。使徒行伝によれば、第1回教会会議はエルサレムで行われ(15章)、その後も数世紀間、ここが信仰の中心であり続けました。キリスト教はエルサレムからローマ帝国各地へ広がっていきましたが、ローマの法律で新しい宗教が禁止されていたため、どこに行っても迫害されました。キリスト教は「レリジオ・イリスィタ」、すなわち非合法の宗教とされ、信者たちはその信仰のゆえに死に至る深刻な迫害を受けました。
1世紀初頭、ほんの短期間ユダヤ人の自治権が認められた時期があり、引き続いて132〜135年にシモン・バル・コクバの反乱が起こりました。この反乱でユダヤ人は大量に殺戮され、エルサレムは破壊し尽くされました。その後、エルサレムは皇帝ハドリアヌスによって新たに再建され、彼の名字アエリアをとった「アエリア・カピトリーナ」と改名されました。ユダヤ人はエルサレムから追放され、さらにユダヤ、サマリヤそしてガリラヤ地方から、完全にユダヤ人を断ち切る目的で、“シリア・パレスチナ”とイスラエルを新たに命名しました。
 ◆事実14
紀元306年、ローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教に改宗し、帝国でのキリスト教迫害はなくなりました。それどころか帝国の公式宗教となり、以来、ユダヤ教とユダヤ人が迫害されるようになりました。紀元324年、神聖ローマ帝国軍が「信仰の起源」を宣言し、ビザンチン統治を敷く目的でエルサレムになだれ込みました。326年、ビザンチン皇帝コンスタンティヌスの母、ヘレナ女王がエルサレムを訪れ、エルサレムの聖墳墓教会やベツレヘムの降誕教会などを含む、主要な教会を建て始めました。
◆事実15
イスラム教の黎明となった7世紀初頭、エルサレムは数回、異なる支配者たちの手に渡りました。614年、ビザンチン帝国はペルシァにエルサレムを奪われますが、629年には再び取り戻しています。しかし638年、カリフ・オマール・ベン・ハタブ率いるイスラム軍が大挙して攻め込み、エルサレムと聖書の地は奪取され、アラブ・イスラムの手に渡りました。688〜691年、アブド・エル・マリクによって神殿の丘に岩のドームが建てられました。こここそ、神殿の丘で最も重要な場所です。イスラムにとっては、元ビザンチン教会を改築したアル・アクサ・モスクのほうがさらに神聖な場所なのです。エルサレムはイスラムの経典コーランに一度も登場ないにもかかわらず、開祖モハメッドが昇天の途上でこのモスクに立ち寄ったと信じられています。
◆事実16
1096年、ヨーロッパから十字軍が第一回目の遠征におよび、エルサレムを奪取しました。十字軍統治はその後1291年まで持続しました。彼らはこの地に入ると、まずイスラム教徒、続けてユダヤ人たちを虐殺しました。また、顔立ちが同じために区別がつかず、イスラム教徒と勘違いされた多くのクリスチャンたちも殺害されました。神のあわれみを求めてシナゴーグで祈っていたユダヤ人たちを、十字軍は「キリストよ、われら汝をあがめ奉らん」と讃美歌を歌いつつ、シナゴーグに火をつけて、彼らを焼き殺したという記録が残っています。殺されなかった人々は奴隷として売られていきました。
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