◆事実7
紀元前722年、アッシリアの王セナケリブによる征服で、北王国に裁きが下されましたが、エルサレムは持ちこたえました。ユダ王国の王ヒゼキヤは、地下にギホンの泉とシロアムの池をつなぐ水路を掘って、城壁内の水の供給を確保しました。エルサレム周囲の丘々で、神の使いがセナケリブ軍を打ったので、アッシリアの王は恥辱のうちに帰って行きました(第2列王19章)。セナケリブの生涯と業績が刻まれた碑には、聖書と一致する記録が書かれています。
紀元前586年、ついに南のユダ王国がバビロンのネブカデネザルに落とされました。彼はエルサレムを陥落し、第一神殿を破壊しました。契約の箱はこの時点から行方不明になっています。多くの人々がその所在を探し求めてきましたが、いまだに発見に至っていません。ユダ王国の人々は虜となり、バビロンへ引かれて行きました(第2列王記25章)。
◆事実8
紀元前539〜537年、バビロンを征服したペルシャの王クロスの布告によって、少数のユダヤ人がイスラエルへ戻りました。ダビデの家系ゼルバベルに率いられたこの最初の帰還には、およそ5万人が参加したと推定されます。エズラ記に書かれているように、人々が最初に手をつけたのは「神殿の再建」でした。その後、1世紀も経たない紀元前445年、書記エズラとネヘミヤに率いられた第二の帰還が起こりました。ネヘミヤ記に書かれているように、彼らは城壁の再建と防備、神殿のさらなる完成に向けて、大規模な工事に着手しました。この第二神殿は500年後、ヘロデ大王によって究極的拡張と芸術的細工が施されました。
ユダヤ人の帰還、神の啓示を受けたエズラのリーダーシップ、第二神殿の建設、エルサレムの城壁の再建と防備、そして宗教と司法をつかさどる最高機関クネセット・ハガドラー(大議会)の設立が、第二神殿時代の出発でした。大ペルシァ帝国の勢力圏内で、ユダはエルサレムを中心とする国となりました。そのリーダーシップは、もはや一人の王にではなく、大祭司と長老議会にゆだねられました。
◆事実9
紀元前350年、ペルシャがエルサレムを攻略しましたが、332年にはアレクサンダー大王率いるギリシャに攻め落とされました。アレクサンダーが死ぬと、彼の3人の将軍の支配下に分割され、紀元前313年には、エジプトのプトレマイオス1世がエルサレムを治めることになりました。さらに紀元前170年、シリアのセレウコス朝の王、アンティオコス・エピファネス4世がエルサレムを奪取し、ユダヤ人に創造主なる神への礼拝を禁じ、ギリシャの神々への礼拝を強制しました。この時期、多くのユダヤ人がギリシャの習慣を身につけ、ヘレニズム化されました。
さらに、エピファネス4世は祭壇で豚を捧げて神殿を汚しました。そればかりか、ユダヤ人にもそれを強要したので、信心深いユダヤ人の我慢は限界を超え、紀元前167〜4年、ハスモン家が反乱を起こしました。はじめは祭司の家系ハスモン家のマッティアスが率いていましたが、彼の死後はマカベア(「鉄槌」の意)として知られる、彼の息子ユダが後を継ぎました。
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