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◆異端審問
14世紀中頃、スペインやポルトガルの教会において、異端者を探し出し、告訴するために異端審問が行われました。この波はユダヤ人の居住区にもおよび、最初に告発された人々が強制的に改宗させられ、それからその共同体全体が改宗させられました。追放を免れた人々は裁判にかけられ、財産を没収され、それは諮問法廷の財政を潤しました。教会では彼らを処刑することが許されていなかったので、世俗の機関である、この異端審問の法廷へと送られたのです。
血を流すことは許されない行為であったので、生きながら焼く方法が選ばれました。これはヨハネ書15章6節にある、「だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」の聖句に基づいて行われたのです。
スペインにおける異端審問は、1481〜1820年まで続きました。35万人以上のユダヤ人が刑罰によって苦しめられました。
◆宗教改革
宗教改革が起こったことにより、キリスト教界に希望と新しい空気が吹き込まれました。宗教改革は、教会が犯した多くの失敗を認め、その指導者であったローマ法王、大司教、司祭たちといった教職者全体に対して挑戦状を叩きつけるものでした。しかしユダヤ人にとって、宗教改革は改革どころか、反ユダヤ主義に新たな前進をもたらすものでしかなかったのです。宗教改革に対して脅威を抱いていたカトリック教会は、すべての人々に対して疑いを抱きました。ユダヤ人共同体に対しても疑いを抱いた彼らは、ゲットーとよばれる一定の地域に彼らを閉じ込めて隔離したのです。
宗教改革者マルチン・ルターは、改革をとおして伝道を始めた頃、ユダヤ人に対して好意的でした。しかし、後に反ユダヤ主義者へと変わってしまい、反ユダヤ主義に関する2冊の書物『ユダヤ人とその虚偽について(On
the Jews and Their Lies)』『口にしてはならない御名(On
The Shem Hamephoras The Ineffable
Name)』を著しました。この2冊の本には、今までユダヤ人に対して使われた表現の中でも最も下劣なものが含まれています。
その500年後に現れたヒトラーは、これらのルターの著作をもとにして反ユダヤ主義やホロコーストについて多くのアイデアを得て、正当化していったのです。ルーテル派の生みの親であり、ドイツ人であったルターの発言に対して、誰が異議を唱えることができるしょうか。
◆啓蒙と解放の時代
17〜18世紀は啓蒙の時代、そして続く19世紀は解放の時代を迎えました。しかしいくら世の中が変わっても、ユダヤ人たちはそれまで培われた偏見によって引き続き苦しみを受けていました。社会はキリスト教による支配から脱却しつつありましたが、反ユダヤ主義の姿勢に変わりはありませんでした。ユダヤ人社会は一般の社会から隔離され、多くのユダヤ人が社会進出できずにいました。ユダヤ人は当時の社会において異分子として見なされていた人たちであり、「反ユダヤ主義」という病の犠牲者だったのです。
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