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 また、新約聖書の著者たちはユダヤ人でした。イエスの使徒たち、初代の信徒たちもユダヤ人だったのです。彼らはユダヤ人の安息日(シャバット)に神を礼拝し、ユダヤ暦の祭りを祝い、ユダヤ教の会堂であるシナゴーグに出席していました。また、エルサレムとそれを取り巻くユダ地方、サマリヤ地方、ガリラヤ地方にはこれら初代教会が存在していましたが、そのメンバーもまたユダヤ人が主体となっていました。

 ローマ帝国領内に存在していた他の教会もまた、比較的強いユダヤ的ルーツ、もしくはヘブル的ルーツを保っていました。彼らはエルサレムにある親教会の指導に従っていたのです。この事実は、新約聖書中のコリント人への手紙やローマ人への手紙、ガラテヤ人への手紙、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、テサロニケ人への手紙といった書簡によって裏づけられています。これらの書簡は、エルサレムの親教会から発信されたものなのです。

 紀元66年の第1次ユダヤ・ローマ戦争以前は、パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派と同様に、キリスト教もユダヤ教の一派だと一般に見なされていました。しかし、ユダヤ人たちがローマ帝国に敗北を喫して多くの人々が殺害された後、ユダヤ人共同体は彼らの教えをパリサイ派の教えの流れにそって発展させていく決断をしました。これが今日のラビ的ユダヤ教へと発展していったのです。

 このことが転機で、ユダヤ人共同体が信奉するユダヤ教からの、キリスト教の分離が始まりました。この分離はローマ帝国に対して大きな衝撃を与えるものとなり、ローマ帝国領内に浸透しつつあったキリスト教と、ユダヤ教の間には徹底的な溝ができてしまったのです。この出来事以降、ローマ帝国領内全域で異邦人が次々とキリスト教の信者になっています。

 こうした中、紀元135年に勃発した第2次ユダヤ・ローマ戦争において、ユダヤ人はローマ帝国に対して再び敗北します。この敗北が原因で、ユダヤ人たちはエルサレムを去ることになり、ユダヤ人信者が主体であった教会の主導権にも影響をおよぼすことになりました。神学的・政治的主導権は、ユダヤ人クリスチャンの指導者たちから、アレクサンドリア、ローマ、そしてアンテオケの異邦人クリスチャンの指導者へと移行しました。キリスト教がユダヤ的ルーツから自らを分離したことから、初代教会の教父たちは反ユダヤ的な発言や、反ユダヤ的な神学の形成を開始することになります。

◆置換神学の始まり
 ユダヤ人に対するキリスト教会の敵意は、初代教会の教父たちの著作に反映されています。例として、殉教者ユスティヌス(Justin Martyr 紀元160年頃の人物)が、あるユダヤ人に語った発言が挙げられます。彼はこう言いました。「聖書はお前たちのものではない、我々のものだ」
リヨンの司教であったイレナエウス(Irenaeus 紀元177年頃)は、「ユダヤ人は、神の恵みから切り離された者たちだ」と公言しています。また、テルトリアヌス(Tertullian 紀元160-230年頃)は、論文の中でこう書き記しています。「神はユダヤ人に対して、ご自分は『キリスト教徒のほうを好み、ユダヤ人を拒絶する』と公言された」

 

 
 
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