ユダヤ教の祈りの静かな部分、アミダで彼らはこう祈ります。「あなたがあわれみのうちにシオンへ戻られるのをこの目で見ることができますように」
祭の食事の後、「我々の生きている間に、万軍の主がすみやかにエルサレムを再建してくださるように」とユダヤ人たちは祈ります。
ユダヤ人たちは、日に3度「エルサレムよ、愛しの町よ、いつの日か我ら汝のもとへ喜び帰らん」と何千年にもわたって祈ってきました。
◆第8の鍵
エルサレムはイスラム教の聖地であったことはない
この町とイスラムとの関係について考えてみましょう。エルサレムはコーランには全く登場しない町です。イスラム教徒が自分たちとこの町を結びつけるのは、マホメットがバラクという名の翼のついた馬に乗って、夜の天空を駆ったという伝説に基づいています。その馬は彼を「聖なるモスク」から「最果てのモスク」へ連れていったということですが、コーランによればその旅は預言者マホメットの夢の中で、ほんの一瞬のうちに起こったものだということです。そしてイスラム教徒によると、はっきりと名前が書かれていないにもかかわらず、この「最果てのモスク」がエルサレムだというのです。
「最果ての」モスクにしばらく留まった後、マホメットは第7天国へ至り、そこでアブラハム、イサク、ヨセフ、モーセ、イエスに迎えられ、神の最後の預言者となるべく彼らから油注ぎを受けたといわれています。現実には紀元632年に死ぬまで、生涯においてマホメットがエルサレムの地に立ったことは一度もありませんでした。その6年後の紀元639年に、カリフ・オマールがエルサレムを征服しています。
イスラム教徒が神殿の丘を聖地とする根拠は、ただこの伝説のみによるのです。イスラム教の初期においては、その教えの中にユダヤ教とキリスト教の要素がいくらか取り入れられました。そのころのイスラム教徒はエルサレムに向かって祈りを捧げていました。しかし、中東のユダヤ人たちがマホメットの新しい宗教を受け入れないとわかると、祈りの方角をエルサレムからメッカに変更したのです。
著名なアラブ人地理学者のヤクットは、彼が著した辞典(紀元1225年)の中で、エルサレムについて「ユダヤ人たちとキリスト教徒たちの聖地」と書いており、イスラムの聖地はメッカであると明記しています。しかし今日、エルサレムはイスラム教第3番目の聖地といわれており、この都がイスラムにとっても非常に重要であるがゆえに、イスラムと分かち合う必要があるというのが、世の中の一般的な認識です。
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