◆第7の鍵
ユダヤ人だけの首都
世界中のユダヤ人たちには、第1神殿と第2神殿の破壊を思い出すために、家の壁の一ヵ所だけ塗装をしなかったり、未完成の部分を残す「ゼッカー・ラ・ハーバン」と呼ばれる習慣があります。また、ユダヤ暦で第9番目のアブの月には、ユダヤ人たちは第1神殿と第2神殿の破壊を思い出すのが習慣となっています。
こうした行いは、ユダヤ人たちがいかにこの聖なる町にいまだに結びついているのかを物語っています。エルサレムが政治的にイスラエルとユダヤ人以外の国民の首都になったことはこれまでの歴史上、一度もありません。事実、過去に他の国々がエルサレムを征服しようとしたのは、この地がユダヤ人たちにとってあまりにも重要であったからであり、彼らの政治的・宗教的憧れが主な理由でした。
キリスト教とイスラム教は、もともとイスラエルとユダヤ人たちの上に起こった聖書的出来事を、後になってそれぞれの信仰にあてはめたために、どちらもエルサレムの重要性を中心としました。もちろん、キリスト教にはエルサレムと直接的なつながりがあるのは認められるでしょう。しかしキリスト教徒は、神のイスラエルと世界の贖いのご計画をまっとうする使命を背負ったユダヤ人イエス・キリストの人生と死とよみがえり、そしてやがて来る再臨とのつながりの中に、エルサレムを見出すことに、ユダヤ教との違いがあります。
神とユダヤ人は、彼らの聖都エルサレムとの結びつきを忘れることは決してないでしょう。この結びつきは、この町に対する神の、そして天からの主権的な契約とご意志の一部だからです。
イザヤはエルサレムへの神の思いを次のように書きました。「しかし、シオンは言った。『主は私を見捨てた。主は私を忘れた。』と。『女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。
見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。』」(イザヤ49:14-16)
また、詩篇の著者は大胆に宣言しました。「エルサレムよ。もしも、私がおまえを忘れたら、私の右手がその巧みさを忘れるように。
もしも、私がおまえを思い出さず、私がエルサレムを最上の喜びにもまさってたたえないなら、私の舌が上あごについてしまうように。」(詩篇137:5-6)
市民たちに最も深く慕われたエルサレム元市長・テディー・コレック氏は次のように述べています。「3000年間、エルサレムはユダヤ人の望みと憧れの中心であり続けました。歴史上・文化上・宗教上そしてユダヤという一民族とそのユダヤ教における意識の中心として、これほど重要な役割を果たしてきた町は、このエルサレムをおいて他にありません。幾世紀にもわたる流浪の中にも、エルサレムは世界中のユダヤ人たちの胸中において、ユダヤ民族の歴史の中心点として、古代の栄光の象徴として、霊的達成と現代の復活の中で生き続けました。ユダヤ民族の全歴史を一言で象徴的に言い表すとするなら、そのことばこそ『エルサレム』であるという考えは、ユダヤ民族の心と魂から生み出されたものなのです」。毎年、過越の祭の時期になると、エルサレム以外の場所に住むユダヤ人たちは「来年こそエルサレムで」ということばを繰り返してきました。このことばにはエルサレムで過越の食事を食べることへの彼らの強い願いを表しています。
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