その一方で、城壁の門は町の中でも最も活動的な場所でもありました。門のそばやそのすぐ内側には中庭や大通りがあって、そこで町の社交や商業活動が行われ、法的なやり取りが交わされました。ここでは律法の書の朗読や布告も行われています(ヨシュア20:4、第2歴代32:6、ネヘミヤ8:11、3)。法的訴えに関する長老たちによる義の審判が行われる「裁判の場」でもあり、仕事上の取り引きも行われる「ビジネスの場」でもありました(申命記16:18、第2サムエル15:2、アモス5:10-15)。
さらに、新しい情報が交換され、議論される場所でもあり(創世記19:1)、噂話が広められていくのもこの場所からでした(詩篇69:12)。また市場もこの場所で栄えました。たとえばエルサレムの「魚の門」(ネヘミヤ3:3)、「羊の門」(ネヘミヤ3:1)、「水の門」(ネヘミヤ3:26)、「馬の門」(ネヘミヤ3:28)などがあります。輸入品の取り引きが行われる場所でもありました。
この城門では預言者や祭司たちが訓戒や宣告を下すこともありました(イザヤ29:21、アモス5:10、エレミヤ17:19)。罪人たちは門のすぐ外側で刑罰を受けたのです(第1列王21:10、使徒7:58)。さらに、人々が君主や高位の人の目に留まるチャンスをつかむ場所でもあり(サムエル下19:8、第1列王22:10、エステル2:19、21、同3:2)、町を訪れたけれども宿を見つけることができなかった異邦人が夜を明かした場所でもありました。
長老に選ばれて城門にある専用の座に着くことは、大変な栄誉でした(箴言31:23、ダニエル2:49)。しかし、アブラハムの甥であるロトにとっては、ソドムの城門に座す長老に選ばれ、主への献身に妥協してしまったことで、栄誉どころか呪いを受けることになってしまいました(創世記19:1)。
今日、エルサレムの旧市街へ入れる城門は九つあります。北壁には古代の「ダマスカス門」、「ヘロデの門」、「新門」があります。東壁には聖ステパノ門としても知られる「ライオン門」と「黄金の門」(または「東の門」)があります。黄金の門には、メシアがここから神殿の丘に入場するという預言者たちの預言を妨げるためにイスラム教徒たちによって16世紀に封印された、というエピソードがあります。南壁には「糞門」と「シオン門」があります。西側の城壁には唯一のメインゲートであるヤッフォ門があります。
しかし門の有無にかかわらず、数多くの戦いが繰り返された聖書の時代にも、神はエルサレムを守ってこられました。将来敵がシオンへ攻め上ってきても、神はエルサレムを守られることでしょう(イザヤ34:8、ゼカリヤ12:2-3、9)。
◆第6の鍵
争いの町
神はエルサレムをご自分のものとされ、イスラエルの首都としてユダヤ人たちの宗教的中心地にされました。しかし皮肉なことにそのことが原因で、この特別な町は国々の崇拝の対象ともなりましたが、口汚いののしりの的ともなりました。この小さな辺境の町を巡って国々から人々が攻めてきて、他に類を見ないほど多くの争いが起きました。その経済的価値や大きさにかかわらず、エルサレムは世界史上で大きな役割を果たしてきたのです。
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