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 詩篇42篇1節から2節にはこうあります。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。」

 聖書の中で、聖霊さまが冷たい泉の水にたとえられているのは興味深いことです。イスラエルの地に住み、乾燥したユダヤ荒野を歩くと、なぜそうたとえられるのかが容易に理解できます。

 この荒野にはアイベックスが住んでいます。ある暑い夏の日に、エイン・ゲディの泉を目指している一頭のアイベックスに出会いました。そのアイベックスが、冷たい泉の水でゆっくり喉を潤すことを期待しているのをひしひしと感じることができました。私たちが神と時を過ごしてリフレッシュされることを熱心に求めるときも、このような憧れと期待をもって臨むべきです。内から湧き出るこの憧れが、神に対する私たちの献身の深さを映し出すのです。

◆これは私たちにとってどのような意味を持つのでしょうか?
 私たちのうちに、主に献身する生き方を成長させていく必要のない人はいません。教会の中でマリヤ的な性質を持つ人々のうちには、もう少しマルタの性質を持つべきである人もいるかもしれませんし、その反対もあるかと思います。私が言いたいのは、私たちの霊的生活にはバランスが必要であること、そして聖書を読むときや祈ったり賛美するときに私たちを萎縮させて視野を狭くする、たとえば「デボーション」などのことばに対するクリスチャンの狭い伝統的概念に気づくべきだということです。

 この学びによって、神に献身するということは、私たちの歩みが常に私たちの内なる神を映し出すべきものであることが理解できたと思います。主のご臨在はいつも私たちとともにあり、それが周りの人々に現され、あふれ出ていくべきなのです。

 デイビッド・ウィルカーソンは、その著書『ただキリストを求めて』(角笛出版)の「イエスのご臨在を現わす」という章で、ちょうどこのことについて取り上げています。

 私たちのキリストへの愛は、私たちのことばや行いに現れているべきです。ヨハネの福音書14章21節には、「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」とあります。

 

 
 
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