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神が教えられたことを出て行って人々に伝えるためには、熱心に神に耳を傾け、整えられ準備されなければなりません。神から学んだことを自分たちの行動や行いで表すことも必要なのです。私たちは現世を否定してあまり現実から遠ざかり過ぎてもいけませんし、また御国のためにあまり忙しくし過ぎてその神を忘れるほど頑張る必要もないのです。
◆心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ
献身・崇敬・敬虔は、あなたのすべてをもって神を愛する行いです。神の戒めの中で何が一番大切かとパリサイ人に聞かれて、イエスはこう答えました。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」(マルコ12:29-31)
マタイは、このイエスのことばの締めくくり部分を「律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ22:40)と結んでいます。
神を愛し主に献身するためには、主のご臨在の中で恵みを受けることと隣人を愛する行いとの間でバランスを取る必要があります。すべての律法と預言者がこの二つの教えにかかっていると主が言われたのは、神の教えはすべて、私たちが神の御前と隣人たちに対してどのように振る舞えばよいのかを教えているからです。
この二つの教えを聖霊さまの力で行うことができるなら、私たちはいつでも正しいことを行えるのであって、どうすればよいのかを具体的に記した教えの書も必要でなくなります。しかし、私たちはつまずきやすい肉を着た人間なので、豊かな人生を送れるように与えられた、詳細な教えを必要とするのです。
モーセは、ユダヤ教で最も重要なもののうちに入る、他の基本的な教えをイスラエルの民に語っています。それは申命記10章12節から13節において見られます。「イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。」
これを行うためには一心に主を求め、捧げる姿勢が私たちの側に要求されます。ダビデは次のように言っています。「神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。
私は、あなたの力と栄光を見るために、こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。
あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します。」(詩篇63:1-3)
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