◆聖別と献身は1セット
以前、お届けしたイスラエル・ティーチング・レター「ヨシュアの挑戦」で、約束の地へ入っていく前にイスラエルの子らが自分たちを整えたことがいかに重要であったかを学びました。成功の約束は神さまからすでにいただいていましたが、約束の地を征服するために、自ら出て行って戦うことが彼らにはまだ残されていたのです。
彼らは自分たちを聖別し、心を新たにしなければなりませんでした。過去の歴史は何の頼りにもなりません。ヨシュアは人々に言いました。「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。」(ヨシュア3:5)
神さまは彼らのうちで驚くべき働きをなしてくださいました。聖別するということは聖であると宣言すること、世のものから離れて主に仕えるためにすべてを捧げることです。
聖別はまた「聖であること」です(訳注・こういう神学用語はよくわかりませんのでどなたか先生に見ていただいてください)。私たちのうちに、自分を主の御前に聖別したくない人、主の御前に聖とされ、与えられた召しを達成したいと思わない人はいるでしょうか。神は言われます。「わたしはあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別し、聖なる者となりなさい。」(レビ11:44)
しかしこれには訓練が伴い、払うべき代価があります。
さて、今月のイスラエル・ティーチング・レターでは、聖別・献身・崇敬・敬虔の近い関係を学んでいきたいと思います。これらのつながりを持つ概念は、私たちが主とともに進んでいく歩みの次のステップです。私たちが一旦救いを受け、聖くなるために世から別れて、主のものとして自分を聖別する歩みの第一歩を踏み出したなら、今度は私たちの素晴らしい天の父、神さまとの関係の中で時を過ごしつつ日々を歩んでいく必要があります。献身・崇敬・敬虔とは、神さまをはじめ自分や他の人々の前で、神さまが永遠に変わらない愛のお方であり、それが私たちの生きる焦点であるということを現す行動です。
では、献身・崇敬・敬虔とは、具体的にはどのようなものなのでしょうか。献身とは、私たちにとって重要な物事に対して、私たちの注目と活動を集中させる行動です。神を信じる者としては、献身あるいは注目と活動を集中させる対象は神さまであり、私たちの生き方によって神さまに栄光をお捧げするべきです。それは毎日24時間、神のご臨在の中に保たれた生活を意味します。
神を愛することは崇敬または礼拝と呼ばれ、どちらも個人的・私的なものといえます。さらに述べるなら、神を礼拝するとは、単に讃美歌を歌い、祈り、主を賛美することを指すのでなく、私たちが日々の生活で話したり行なったりすることすべてに含まれるのです。そうでないものはすべて空しい偶像崇拝です。
私たちが生活において継続的に神を敬う姿勢を表すとき、他の何をおいてもまず主を礼拝するとき、また他の人々が私たちの敬虔や献身を見るとき、そこに忠実や誠実が現れているなら、敬虔は私たちのうちから結果として現れるものなのです。
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