40年間も何の目的もなく、ただ山の周りをぐるぐるさまよい続けて過ごしてはなりません。あまりにも多くの人々がたださまよっていることに満足し、たとえ主の臨在の中にいても、「立ち上がって、巨人たちとその城壁のある町々へ攻め上れ」という主のチャレンジを受け取らずにいます。確かにそれは大変な仕事です。しかし主があなたとともにおられるなら、いったい誰があなたに対抗できるでしょう。
◆神への捧げものとして自分自身を聖別しましょう
ヨシュア記には、40年後ついに約束の地に入る準備が整った第2世代の人々について書かれています。神さまは彼らの成功を約束してくださいました。とは言っても、約束の地を征服するために、戦いに出て行くことに変わりはありません。彼らは自分たちを新たに整えなければならず、過去の歴史に頼ることもできませんでした。ヨシュア記3章5節にはこうあります。「ヨシュアは民に言った。『あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。』」
これから敵に立ち向かうというとき、神の御声を聞き分けられるように、御前に自分自身を聖める必要があります。もし聖別されておらず、主とのチャンネルがきちんと合っていなければ、何をどうすればよいのかわからず、主に助けを求めることもできず、イスラエルの陣は混乱に陥ったことでしょう。
また、約束の地を征服するとき、神はその方法や指示を語り続けておられたので、常に御声を聞く必要があったことがわかります。神は箱に閉じ込められ、形骸化されて、儀式の対象におとしめられることを良しとされませんでした。イスラエル人たちは、どうやって敵を征服するかについて神の御声に耳を澄ませ、それを聞き取らねばなりませんでした。もし御声の指示を聞き逃せば、戦いに負けることにました。
同じように、私たちも神を自分勝手な方式や手段に引き下げることはできません。主のものとして聖別される必要があります。そうすれば常に主との対話が明確になり、滞りがなくなります。さもなければ、私たちは目の前の敵を征服することも、神が用意されている約束の地へ入ることもできないでしょう。
また、3章6節でヨシュアは祭司たちに命じて言いました。「契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って渡りなさい。」
たびかさなる戦いにおいてイスラエルの民が勝利を収めるのに最も重要だったことは、常に神のご臨在を保ち、与えられる主のみことばを守ることでした。これを行なったとき、増水したヨルダン川の水さえせき止められ、人々は乾いた川底を約束の地へ向かって渡ることができました。イスラエルの民にとって、紅海とヨルダン川はどちらも克服せねばならなかった障害物や障壁を象徴しています。
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