BFP編集部 2000年8月
新千年紀に入った今、主に仕える者はみな「約束の地」へ入る必要があります。私たちブリッジス・フォー・ピースは、イスラエルにおいて25年以上に亘り主の働きをさせていただくことができましたが、一方、未だ多くの課題が山積されています。
私たちが生きているのは、終わりの時における救いの時代です。ユダヤ教のラビも、聖書に忠実なクリスチャンも、聖書の預言が成就し、メシアの到来が間近に迫っていることをはっきりと確証しています。
もしこれが真実なら、聖書を信じ、アブラハムの神、イスラエルの神に仕える私たちは、自分自身を聖別し、神が一人ひとりに用意されているより高い召し(約束の地)へと踏み出していくべきです。「約束の地」がどこかを知ったなら、それが自分たちのものとなることを主の御名によって宣言し、そこへ入るために備える必要があります。
これは皆様の人生へ原則としても当てはまるはずです。
◆2番目の最高で落ち着いてはいけません
イスラエルの民は、エジプトを出てほどなく約束の地に入ることができたはずでしたが、現実にはいつまでも荒野でぐずぐずしてしまいました。彼らは12人の偵察隊を約束の地に送り込み、報告を持ち帰らせました(民数記13:16-14:1-44)。そこは間違い無く乳と蜜の流れる地であることがわかりましたが、同時に強力で体の大きな人々が、城壁に囲まれた町々に住んでいることもわかりました。ヨシュアとカレブはその地の豊かさの証拠として、巨大な葡萄の房とともに、いちじくやざくろなどを持ち帰りました。彼らは民に向かって、「神が約束された勝利に信頼しよう」と呼びかけました。
しかし人々は恐れをなして、砂漠に留まることを選びました。否定的な報告をもたらした他の偵察隊10人は、主から送られた疫病でたちどころに死んでしまいました。この事態を見て、民はようやくヨシュアとカレブが正しかったことに気がつき、約束の地に踏み出しました。しかし、神はすでに民から去っておられ、彼らは打ち負かされてしまいました。神は彼らの自由意志を認め、40年間荒野へ追放されたのです。神を最後まで信頼したヨシュアとカレブと共に、約束の地に入ることができたのは第2世代の人々でした。
荒野に留まる選択をしたイスラエル人たちは、約束の地に入る祝福をのがしてしまいました。しかしここで注意していただきたいのは、それでも神は「夜は火の柱、昼は雲の柱」となって彼らとともに歩み続けられたことです。神は民に、マナ、うずら、水、避難所、そして決してすり減らない靴を与え続けられました。主のご臨在は彼らから離れず、彼らを祝福し続けました。残念ながら、彼らは約束された最高の祝福ではなく、それよりもかなり落ちる2番目の祝福で落ち着いてしまったのです。
あなたは2番目の祝福に落ち着いていませんか。神がともにいて、いろいろな必要を満たしてくださっているというだけでは、約束の地を受け継いでいる証拠にはなりません。あなたの約束の地とはどこ(何)でしょうか。主があなたに用意されている特別な召しに従っていこうと、あなたを決心させるものは何でしょうか。
|