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ここで注意していただきたいことは、「ブヨはこしてラクダは飲み込む」罪を負っているのはパリサイ人や律法学者だけではないことです。すべてのクリスチャンが、御霊の実を豊かに実らせる生活から外れ、過ちを犯すことがあります。私たちは、それぞれいつも主の御前に自分の行ないを吟味し、必要なら調整していかなければなりません。
この例からもわかるとおり、みことばの言語、その背景にある著者の持つ文化や生活習慣などを深く掘り下げて探求することは非常に大きな意味を持ちます。この場合、言語はヘブル語を背景としたギリシャ語、文化および生活習慣は聖書的ユダヤ教です。これを知る努力なしには、いつまでも意味不明の箇所に混乱され続けてしまいます。
しかし比喩として用いられているイメージをひとたび理解することができれば、無理なくその箇所を理解できます。詩篇51篇7節に「……私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。」とありますが、皆さんには何の困難もなくこの比喩が理解できるでしょう。しかしアマゾンに住む人々がこれを翻訳する場合はどうでしょうか。翻訳者が一度も雪を見たことがなく、聞いたこともなければ……。
みことばの中で「複雑怪奇」に感じる箇所も、その背景さえわかればやさしく理解できるのです。
◆幸いな保証
意味がはっきりしないように思えるみことばが理解できるとホッとします。その学びによって、神と神の祝福であるみことばをさらに深く知ることはなんという祝福でしょう。私は、みことばの箇所を理解不能と判断してあきらめてしまうのは悲しいことだと思います。主も絶対にそれを望んでおられないと思います。主はご自分のみことばをすべて理解してほしいのです。
また、もう一つ皆さんに強調したいことは、私は「聖書が間違っている」とは言っていないことです。新約聖書は、その原典の中ではなんら矛盾せず、一つひとつのことばが互いに高め合い、私たちがより良い主の弟子となるべく書かれています。ここで私が取り上げた問題点は聖書の誤りではなく、貧しい翻訳や、聖書が書かれた時代の文化や言語に関する知識が欠如していたために生み出された問題です。皆さんがほんの少し学ぶ努力をすることによって、最も難しく感じる箇所も本来の意味を取り戻し、主との距離を縮めてくれることを保証します。
神のみことばは真実です。テモテへの手紙にも書いてあります。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(第2テモテ3:16-17)
「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。」(第2テモテ2:15)
エルサレムからシャローム |