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 また、神はイスラエル人に対して、もし水などの飲料目的の液体が入った瓶や壷の中に死んだ生き物が入ってしまった場合、それは汚れたものとなり、その器は砕かれなければならないと言われています(レビ11:33)。ですから、葡萄の実をつぶした汁を瓶に集めるときには、瓶の口に布をかぶせてこします。そうすれば種やカスだけでなく、すべてを台無しにするブヨなどの虫を防げるからです。イスラエル人は誤って汚れた飲料を飲み、主の律法に逆らうことがないように、文字どおりブヨをこし取っていました。

 逆に、食べてはいけない最も大きな動物の一つはラクダでした。「しかし、反芻するもの、あるいはひづめが分かれているもののうちでも、次のものは、食べてはならない。すなわち、らくだ。これは反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。」(レビ11:4)

 律法を守っている人で、ラクダを食べようと考える人は一人もいませんでした。しかしイエスは、律法学者やパリサイ人が律法を正しく守っていないことを指して、不浄な中でも一番ちっぽけなブヨはこし取りながら、同時に汚れたラクダの肉を飲み込んで(食べて)いるとおっしゃったのです。

 この表現は要点を鋭く突くために用いられたものです。ブヨを食べないように気をつけていても、ラクダを食べていたなら律法全部を犯していることになるのは誰でも知っています。律法はすべてを守らなければ意味がないからです。一つのことを守っても、他を破ることですべてが無駄になってしまうのです。

◆パリサイ人と同じ罪
 このことをとおして、イエスは「最も小さなハーブに至るまで什分の一を納めていることは賞賛すべきことだが、正義やあわれみ、誠実を守らなければ、律法学者もパリサイ人も主の御前に聖いとは認められない」とおっしゃっています。後者を守らないことは本当に空しく、死んでいるのも同様です。それはまるでラクダ肉のハンバーガーを食べながら儀式的に果汁100%の葡萄ジュースを飲み、自分は大丈夫だと安心しているようなものです。実際には大丈夫ではありません。

 私たちクリスチャンも、自分は何もかもうまくいっているとうぬぼれる前に、他のクリスチャンを指差して批判したり、つまらないことで他人のあら探しをしていないか考えてみてください。ある人はわざわざ出て行って、ひどいときには公の場で他者の過ちを正そうとします。そして、しばしばそのことで人々をひどく傷つけます。そうしたクリスチャンが「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:22-23)の御霊の実を結んでいることはごくまれです。

 私たちはこの罪を犯していないと言えるでしょうか。これはパリサイ人の犯した罪と同じものであり、主イエスが、兄弟の目のちりを気にするより、まず自分の目の梁をどけなさいとおっしゃったことと同じです(マタイ7:3-5)。

 イエスはパリサイ派のある人々を「盲目の導き手」と言われました。なぜなら、「これこそ神の御前にある、本物かつ完全無欠な聖い生活だ」と言っていた彼ら自身の行ないが偽りだったからです。彼らには自分自身の過ちが見えませんでした。傲慢と自己正当化の生き方が、思いやりに欠けた律法主義的な行為を生み出し、それが貧しい人々を真の義人に導くどころか、逆に遠ざけてしまったのです。

 
 
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