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 ローマ書の聖句が、生ける供え物としてのありかたを示しています。「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」この世の道を避け、悔い改めつつ聖別された生活を送るようになれば、あなたの思いはメシヤに似たものと変えられるでしょう。これこそ、かくも多くのことをしてくださった神のために、私たちができる最小限のことです。

 何をなすべきか、どのようにして知れば良いのか:神はトーラー(律法)を石の板に書かれましたが、今、新しい契約によって、みことばを人の心に書いておられます(エレミヤ1:33、ヘブル10:16)。また聖霊よって罪を示し、私たちを矯正してくださいます。良心に働きかけて、悔い改めに導き、神に立ち帰らせてくださるのです。これは動物を殺すことより、大きく勝った契約です。今や私たち以外の何物も死ぬ必要はありません。私たちの肉には罪がありますから、自分と古い人に死ぬ必要があります。これは、聖霊によって罪を知り、自分自身を聖別するときにのみ起こり得ることです。神が罪の問題を解決し、悔い改めをとおして赦してくださるという、神の広大な愛を考えてみてください。この愛によって、私たちは神との交わりを持つことができるのです。神は、交わりを求めて人間を造られました。

 私たちは完全にはなり得ません。しかし、私たちのうちにおられるメシヤは完全です。真の悔い改めをもって神に近づき、メシヤによるきよめを受けるなら、もはや罪に定められることはありません。一瞬一瞬赦されるように、神が道を作ってくださいましたから、もはや罪の中にいる理由はありません。イスラエルの罪のために、毎年祭司が聖所に入っていきました。しかし、イエシュアは、ただ一度だけでそれを永遠に成し遂げられました。「また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブル9:12、25-27)。

悔い改めは選択肢ではない:神が期待しておられるのは、私たちの義ではありません。それは不可能だからです。ダビデのことを考えてみてください。道徳を守らなければならない立場にありながら、彼は失敗しました。しかし、人間の道徳的失敗を超えて、神との霊的な関係を保ちました。神は人の道徳的失敗を理解されます。もしそれを告白し、神の許に行くなら、これを赦すことができるお方です。そのために、神は備えをしてくださいました。

 神は人の霊的な失敗の方を重視されます。神と切り離れ、己を死に導く霊的な姦淫のことです。イスラエルが神を激怒させたのは、霊的な姦淫でした。霊的妥協者となり、神との関係を凍結し、無感覚となった彼らの心を、神は悲しまれました。これこそ、生活で一番警戒しなければならないことです。神はあわれみのうちにイスラエルを求め続けられました。同じように、私たちが罪の中にいる時も、私たちを追い求めておられます。神の求愛と、「立ち帰るように」というあわれみの呼びかけを拒絶することこそ、神を悲しませることです。告白された罪は、メシヤの血によって赦され、もはやどこにも存在しません。告白され赦された罪は、神との関係における障害とはなりません。神を悲しませるのは、霊的に神から切り離れ、関係を破壊し、霊的な姦淫を繰り返すライフスタイルです。神の愛を知りながら、肉を満足させるために、あらぬ所でほとんどの時間を費やしているとは、何と悲しいことでしょう。

 神は赦しえる人類の失敗だけでなく、神を拒絶する霊的な失敗をもご覧になっています。もし霊的に正しい状態にあるなら、道徳的に欠陥のある性格であったとしても、神はその魂をお救いになるでしょう。一方的な恵によって赦しを提供してくださいます。これこそ、究極的な恵みです。この根本的、霊的真理こそ、私たちが主と歩む上で最も大切なことです。

 
 
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