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◆イエシュアの完全な犠牲における特権

 イエシュアの犠牲とその流された血は、赦しを与え、私たちの人生から罪を除いてくださっただけでなく、古い契約の下では決して与えられることのできなかった、他の特権を与えてくださいました。られていました。

永遠のいのち:赦しと同時に、神の臨在における永遠のいのちの保証が与えられています。「こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。」(ヘブル9:15)。さらにヨハネは「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)と言っています。

罪責感からの解放:古い契約の下では、人は良心の呵責や罪責感から完全に解放されることはできませんでした。実際、汚れのない動物の命が、人々の罪のために奪われたことから、おそらく罪責感は増していったことでしょう。罪を「覆う」ということは、「罪を除く」ということと同じではありません。罪を完全に除くことは、新しい契約による、イエシュアの流された血において可能になるのです(ヘブル9:14、10:22)。良心のとがめを取り去り、罪責感を除く唯一の方法は、神の霊が人の中に入り、神の愛によって心の中に癒しをもたらすことです。しかし、聖霊は古い契約の下にある人の中に住むことはできません。この方法は、最高の代価が実際に罪を取り除くために支払われ、人に神との個人的な関係をもたらしたときにのみ、有効となるのです。イエシュアの完全な犠牲においてのみ、罪は全く消し去られ、神の霊が私たち一人ひとりの中に住んでくださるようになるのです。パウロもコリント人たちに言っています。「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか」(第1コリント3:16)。これは、動物の表面的な犠牲では不可能なのです。

 イエシュアにあって、私たちが悔い改めと赦しを受け入れるとき、そこに罪責感は全くありません。パウロは言っています。「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです」(ローマ8:1-3)。

神との直接的な交流:救われる以前、人の霊は神と離れていました。動物の犠牲が成し得たことは、罪を覆い、人が神によって滅ぼされないようにすることだけでした。しかし、イエシュアによって罪が取り除かれたことにより、私たちは神の霊と直接交流することができるようになったのです。ですから、もはや神との交わりに、祭司などの仲介者は必要ありません。唯一の仲介者、イエシュアをとおして、私たちは直接神に行くことができるのです(ヘブル6:9-16)。テモテ書も言っています。「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」(第1テモテ2:5)。一人ひとり、神と直接語り合うことができるようになりました。

 
 
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