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◆古い契約の供え物とイエシュア

 ヘブル人への手紙は、大祭司であり、罪の犠牲としてご自身を奉げた、イエシュアの役割りを知る情報の宝庫です(時間をかけてこの書を読んでください。特に5-10章)。旧約におけるレビ人の祭司は、人々の中から選出され、民族を代表して神に関わるよう任命されました。そして民のために、罪の供え物と犠牲をささげました。しかし、彼ら自身にも罪があるために、一般の人々と同様、自分たちのためにも犠牲を奉げなければなりませんでした(ヘブル5:1-3)。これらの犠牲は、人々の罪を覆うため(ヘブル7:11、10:11)日ごとに繰り返されました(ヘブル7:27)。罪の払う代価は、“死”だったからです(ローマ3:23)。それで、染みや傷のない無傷の動物がいけにえとされ、それらの血が祭壇のまわりに注がれました。神がそれをお求めになったのです。「それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」(ヘブル9:22)。

 イエシュアは大祭司でしたが、レビ的な祭司の秩序にはおられませんでした。彼はより高い、メルキゼデクの秩序におられたのです(詩篇10:4、ヘブル6:7-16)。メルキゼデクやアブラハムのような族長たちが持っていた神との関係を、レビ的な祭司たちは持っていませんでした。偉大な族長アブラハムは、什一の奉げ物を、自分よりも偉大なメルキゼデクに持っていきました(ヘブル7:5-7)。

 レビ人の祭司には、罪を消し去ることはできません。ただ罪を覆うために、来る日も来る日も雄牛ややぎを奉げることしかできませんでした(ヘブル10:3)。イスラエルの人々が罪を悔い改める贖罪の日に、どんなに素晴らしい犠牲を奉げても、それは毎年繰り返される必要がありました。「もしそれができたのであったら、礼拝する人々は、一度きよめられた者として、もはや罪を意識しなかったはずであり、したがって、奉げ物をすることは、やんだはずです。ところがかえって、これらの奉げ物によって、罪が年ごとに思い出されるのです。」(ヘブル10:2-3)

 しかし、完全で罪のないイエシュアが、ご自分の体と血を奉げられたのです(ヘブル9:12)。イエシュアはただ罪を覆っただけではなく、罪を全く取り除いてくださいました。この神のみ心に従って、イエス・キリストの体が、ただ一度だけ奉げられたことにより、私たちは聖なるものとされたのです。キリストは聖なるものとされる人々を、一つの奉げ物によって、永遠に全うされたのです(ヘブル10:10、14)。私たちは毎日イエシュアのもとに来て、赦しを求めなければいけないかもしれませんが、新しい犠牲が奉げられる必要は全くないのです。

 古い契約における罪と犠牲の制度は、メシアの到来とともにすたれました(ヘブル8:7-13)。なぜならメシアが完全への必要条件を満たしてくださったからです。しかしこれが意味するものは、決して古い契約がすたれたとか、効力が無くなったということではありません。レビの祭司的犠牲の役割はもう必要無くなったものの、旧約聖書に書かれている神の約束、契約、教訓は今でも機能しているのです。

 
 
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