創世記には、カインによる最初の供え物について書かれていますが、その観念の起源については何も記されていません。創世記4章4節とヘブル書11章4節には、共にアベルの信仰が、神に受け入れられる供え物となったと書かれています。ある人は、アベルの行為を、神に明示され、命令されて始めたと言います。神のご命令がなければ、彼の供え物は、単なる迷信に過ぎなかったということになります。この習慣は、神によって承認され、モーセの律法によって採用されました。その後、大変複雑ないけにえの方法が発展してきました。供え物は一つの方法で奉げられたわけではなく、その動機や必要の程度に応じて異なる方法が取られました。しかし、神の尊厳を認め、従順を表明し、神の愛顧を受けたいという真摯な願いによって奉げられたときだけ、神にとって価値あるものとなりました。
聖書には、多くの種類の供え物があり、モーセの律法には、それが詳細に記述されています。こうした犠牲は、今の私たちに要求されていないので、供え物を奉げる動機について、きちんと学ぶ時間を取っていません。しかし、供え物の意味について正しく理解するなら、イスラエル人と同じ失敗を犯したとき、神がなにを期待しておられるかを知ることができます。罪を犯したなら、悔い改めを持って、また感謝を持って神に近づく必要があります。昔の複雑な供え物を例示するのに、以下の要約が注目されています。
- 全会衆のための供え物は、個人のためににもなされたものである。
- 「動物の供え物」は、罪のため、咎のため、また平和のために奉げられ、雄牛、やぎ、はとだけが認められた。野生の獣や魚は奉げることができなかった。さらに、しみや傷の無い物だけが主に受け入れられた。
- 「植物の供え物」は、畑の初物から奉げられた。特にぶどう酒・油・穀物(穂、もしくは食物の形で。大麦か小麦の製粉から作られた練り粉・菓子・ウエハース、パンなど)。食物の奉げ物は、しばしば動物の犠牲に添えられた。
- 祭壇や奉げ物に注がれたぶどう酒は、平和祭などに添えられたが、罪や咎の供え物には添えられなかった。これは、「香りの奉げ物」でもあった。
- 破られることのない関係を祝って奉げられる供え物。神をたたえ、神との平和な関係を促進する賛美、祈願、自発の奉げ物と呼ばれる「平和の供え物」。
- 神との破れた関係(罪・咎など)を回復する供え物。「罪を贖うための供え物」は、罪を覆うために血を流し、命が絶ち切られなければならなかった。これは、罪が犯されるたび、何度でも繰り返し奉げられた。血は、祭壇の上に注ぎかけられるか、祭壇の角になすり付けられた。これは意図されなかった罪、もしくは無知によって犯してしまった罪のためのものであり、意識的、故意の律法違反には、贖いは不可能であった。大罪すなわち安息日違反(民15:32)、姦淫(申22:22、23)、殺人(出エ1:12)、冒涜(ヨシ7:15)は、死をもって罰せられた。また人身の犠牲は禁じられた(レビ20:2-5、申12:31)。
- 「祭司による供え物」。あるものは祭司無しになされた。またあるものは祭司と一般人の両者によってなされた。
- 「全てを神に奉献する供え物」。一部が神に奉げられ、祭司と礼拝者が共に、あるいはどちらかが残りを食べる。過ぎ越しの奉げ物は後者に属する。
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