1967年、ルカが書いたイエシュアの預言が実現しました。紀元135年から1967年まで、異邦人の手の中にあったエルサレムが、ついにユダヤ民族の手に戻りました。1967年6月、有名な六日戦争をとおして、古都エルサレムは、もう一度イスラエルの手に落ちました。捕囚後ほぼ1900年後のことでした。西の壁で祈るイスラエル兵士の写真が、生涯におけるこの瞬間の神聖さを証明しています。古代聖都が、再び彼らのものになったのです。
神はこの聖なる都を再びイスラエルから切り離し、回教徒世界にお与えになるでしょうか。興味深いことに、新約聖書のどこにも“パレスチナ”は記述されていません。ただイスラエルとエルサレムがあるだけです。“エルダト”と呼ばれる回教の町にではなく、エルサレムにイエシュアが戻って来られるという聖書の記述に注目しましょう。
エルサレムを巡り闘争が起こるでしょうが、その戦いの源は霊的なものです。神はシオンにその御座を再確立するために働いておられます。神の敵はそれを好みません。しかし最終的に神が圧勝され、諸国民はエルサレムで唯一の神を礼拝するでしょう。
信仰を持った異邦人が従うべき律法を確立するために、エルサレム会議が招集されました(使徒15章)。そのとき、ヤコブはアモス書9章11-12節を引用しました。そこには、メシヤが来られたときに持たれる、ユダヤ人と異邦人による礼拝と、エルサレムの回復が記されています。「この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。」(使徒15:16-17)。
興味深いことに、イスラエルの主なる神が礼拝されていたエルサレム内の議会でさえ、アモスの預言を理解していたのです。それには、異教徒の神々ではなく、聖書の神を礼拝する聖なる町へと回復するためには、何がユダヤ民族の補囚と帰還に必要であるかを述べています。
ゼカリヤは、「主の足が、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ」ときを見ました(ゼカ14:4)。諸国民(異邦人)は、エルサレムで神を礼拝する民の中に加わるでしょう。16節は言います。「エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。」
依然として完全な規模には達しませんが、聖なる町エルサレムにおける礼拝は、この栄光ある日に向かって動いています。その時、もう一度エルサレムに神の平和と臨在があふれ、唯一の神だけがその宮で礼拝されるでしょう。
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