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  • 「ショバド」は、罰を逃れるために差し出される贈り物です。すなわち賄賂です。申命記16章19節に、イスラエルを治める士師たちへの神の訓示があります。「あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたよって見てはならない。わいろを取ってはならない。わいろは知恵のある者の目をくらませ、正しい人の言い分をゆがめるからである。」
  • 現代、通常用いられる言葉は「マタナー」です。聖書では、捧げ物に用いられる言葉です。言いかえれば、“贈り物”という単語として今日用いられている言葉は、貢物や賄賂ではなく、栄誉・尊敬・感謝を示しています。

 聖書では、贈り物が届けられて当然の状況にもかかわらず、相手がそれを持って来ないことは侮辱でした(第1サムエル10:27)。同様に、贈り物の拒否は大変な侮辱とみなされました。そして、贈り物はできる限り盛大な品を用意し、尊敬を込めて贈られました。

 この背景にあった考え方は、栄誉を示す高貴な行動でした。しかし、贈与という行為は、人間的な競争心によって腐敗してしまいました。それはしばしば、人が自慢するための機会に堕落してしまったのです。

 それゆえに、イエシュア(イエス)は、贈り物は主に対するようにこっそりするようにと、度々告げられました。それは、ただ人々の賞賛を求めるのではなく、神の祝福を受けるための教えでした。マタイ伝6章で主は言われました。「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。」(マタイ6:1-2)。

 ここまで見てきたように、この世における贈り物の形はさまざまです。同様に、霊的な世界においても、贈り物は、与えられるものも、捧げられるものも、主ご自身によって定められています。それらは、特別な祝福や罪の赦しを受けるためなど、それぞれの機会や必要に応じて千差万別でした。

 聖句には、“与えること”と“受けること”は、自然界の“蒔くこと”と“刈り入れること”のように、手に手をとって進む原則であることを示す例が多くあります。

 イエシュアはこう言っています。「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ルカ6:38)。パウロはこう告げています。「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」(第2コリント9:6-7)。

 聖書は誰にもまして、神が最大の贈り手であることを示しています。神こそ全能の親であり、私たちが必要とするもの、欠いているものを正確に知っておらます。ですから、私たちはいつもぴったりと正確な贈り物いただくのです。神の贈り物は、永遠に尽きることがありません。

 
 
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