肉の子孫に受け継ぐことができない、霊的な職務について言っているのです。メルキゼデクの位を成就することができるのは、ただひとりの約束されたメシアのみです(詩篇110:4)。これはヘブル7章3節の後半に説明されています。命の始まりとその終わりがなく、しかも永遠に私たちのための祭司としてとどまっておられる神の御子によって、メルキゼデクの霊的職務が遂行されるのです。
メルキゼデクの祭司職は、レビのそれよりも偉大なものです。ヘブル書7章4節〜10節では、アブラハムがメルキゼデクに敬意を払い、十分の一を捧げたこと、そしてそのときレビはまだアブラハムの腰の中にいたことから、メルキゼデクの位がアロンの位(レビ系の祭司職)よりも偉大であることを明らかにしています(5、10節)。上位の者であるメルキゼデクから、下位の者であるアブラハムとレビが祝福を受けたのです(7節)。明らかに、メルキゼデクは祭司・レビの家系でもなく、その位でもありませんでした。レビ系祭司はアロンの系図、またアロンの位によるもので、セムはこの系図の先祖でした。レビ系祭司職は神によって立てられ、民のためにいけにえを祭壇に捧げることによって神に仕えました。しかし、祭司たちには罪があっため、いけにえを捧げる前に、まず自分自身のためにいけにえを捧げなければなりませんでした。また、そのいけにえは罪を消し去るものではなく、一時的にそれを覆うだけのものであり、常に新しい捧げものを捧げなければなりませんでした。この祭司職は、メシアであられるイェシュアによって遂に完成され、その働きは終わりました。メルキゼデクの祭司職は、メシアによって永遠に続けられるのです。
ヘブル7章11節はこう結んでいます。「『さて、もしレビ系の祭司職によって完全に到達できたのだったら、…民はそれを基礎として律法を与えられたのです。…それ以上何の必要があって、アロンの位でなく、メルキゼデクの位に等しいと呼ばれる他の祭司が立てられたのでしょうか。』言い替えれば、律法はただ、人間は罪深く、神の哀れみと救い、罪の許しを必要としているということを示しただけでした。「律法は何事も全うしなかったのです。…」(ヘブル7:19)。
イェシュアは、私たちのために世の罪を取り除く、神の小羊として完全な捧げものとなってくださり、祭司職を完成されました(ヨハネ1:29)。十字架上で流されたその血潮は、罪を覆うだけではなく、私たちの人生から罪を消し去りました。これがヘブル7章12節で言われています。「祭司職が変われば(レビ系のものからイェシュアにあるメルキゼデクの職へ)、律法も必ず変わらなければなりません。」 イェシュアによるたった一度の完全な御業のゆえに、もはや祭司が民のために捧げものをする必要はありません。イェシュアは律法と預言を完成し、神の約束を成就されました(マタイ5:17、18)。
ヘブル書では、イェシュアについてこう宣言しています。「このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。ほかの(レビ系の)大祭司とは違い、キリストには、まず自分の罪のために、次に民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。」(ヘブル7:26、27)。
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