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イスラム政党ヒズボラ議長
ハッサン・ナスララ |
レバノン戦争
2006年夏、イスラエルとテロ組織ヒズボラとの間に戦争が勃発しました。このレバノン戦争は、イスラエルが不当に非難された実例といえるでしょう。事の発端は何だったのでしょうか? ヒズボラの戦闘員がイスラエル統治境界線を越境し、イスラエル兵8人を殺害、2人を誘拐しました。そして、イスラエル住民センターにミサイルの雨を降らせたのです。しかし、世界のメディアも各国の政府も、ほぼ例外なく沈黙を保ちました。
ところが、ヒズボラの過度の武力行使と民間の住民センターへの爆撃に対し、イスラエル側の応戦が始まった途端に激しい非難が集中したのです。
置換神学
悲しいことに、イスラエルの独自性を奪う最も大きな試みはキリスト教国の中で行われました。教会がイスラエルに「取って換わった」とされたのです。
置換神学者らは新しいイスラエルとして教会を置き、神のさらなる計画の外にイスラエルを置き、イスラエルがイエスをメシアとして受け入れないことを強調したのです。
殉教者ユスティノス(紀元160年)は、「聖書はあなたがたのものではなく、私たちのものだ」と述べています。4世紀初頭、エウセビオスは、「ヘブライ語聖書の約束はすべてクリスチャンのためであって、ユダヤ人のものではない、呪いはユダヤ人のためのものである」と主張しています。その後の教会は、「ユダヤ人は邪悪な人種であり、永遠に神の呪いを受けている」(ポワティエのヒラリウス、紀元291.371年)、「ユダヤ人はへび、ユダの姿をした者、彼らの賛美と祈りはロバのいななき」(ヒエロニムス、紀元347.407年)と呼んで嘲笑し続けました。
このような神学を土台として、十字架の下にユダヤ人を「キリスト殺し」として迫害してきた歴史があります。十字軍はイスラムだけでなく、多くのユダヤ人も殺害しました。ナチスはカギ十字を掲げ、ユダヤ人をガス室に送ったのです。これらのことが十字架の名の下に行われたため、和解のシンボルである十字架が、ユダヤ人にとっては災いのシンボルとなってしまいました。
神は、約束の民イスラエルを退け、召命を取り去ったのでしょうか? 太陽、月、星、そして波も、日々この質問に答えています。
「主はこう仰せられる。主は太陽を与えて昼間の光とし、月と星を定めて夜の光とし、海をかき立てて波を騒がせる方、その名は万軍の主。『もし、これらの定めがわたしの前から取り
去られるなら、――主の御告げ。
――イスラエルの子孫も、絶え、いつまでもわたしの前で、一つの民をなすことはできない。』」
(エレミヤ31・35-36)
神のことばとご性質の接点
神の意図は、神の民の人生のうちにご自身の臨在を現すことです。ダビデは神を信じ、石でゴリヤテを倒しました。ギデオンは神の指示に従い、ミデヤン人を破りました。出エジプトの時、神はイスラエル人を守ると約束し、人々は毎日マナを受けました。神の誠実は、神がご自身を指して語られる通りの事実に現されています。
「神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。」(民数23・19)
イスラエルの土地の状態、人々の帰還、そして彼らの霊的状態のすべてがイスラエル民族には重要です。エゼキエル書36章で、神はこれらのことを細かく語っておられます。そしてその過程で、記された預言のことばが成就されなければならない本当の理由を強調しています。
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