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第一の解決策は、神は嵐をも支配される主であることを理解することです。「主の道はつむじ風とあらしの中にある。」(ナホム1・3)。神はご自身が創造されたものを支配されます。たとえそのなりゆきが、私たちにとって全く秩序を欠いているように見えたとしても、それは神のご支配の範囲内で起きていることなのです。
神は嵐をご自身の目的のために用いられます。時には罰や裁きのために。
「万軍の主は、雷と地震と大きな音をもって、つむじ風と暴風と焼き尽くす火の炎をもって、あなたを訪れる。」(イザヤ29・6)
これは詩篇46篇で嵐について語られていることと同じです。しかし神はご自身が望まれるなら、またいつでも嵐を静めることがおできになります。
「この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。主があらしを静めると、波はないだ。」 (詩篇107・28-29)
思い出してください。これは神の最初の嵐ではありません。
「主は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられる。主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。」(詩篇29・10-11)
そこにある助け
恐怖に対する別の解決策は、神が共にいてくださるという確信をもつことです。神はまさに苦しみの真っただ中で、共にいて助けてくださいます。
ヘブライ語における「PRESENT= (Strong's #4672)」は、遭遇する、偶然の出会い、発見される、見つけ出される、確認される、存在を立証する、十分であると分かる、などを意味しています。これらすべてが、苦難の時、神が共にいてくださることを表しています。神は十分に、いや十二分にご自身を立証されます。私たちはこの嵐の中で神が共にいてくださることを、以前とは比べ物にならないほど理解するようになり、最も深い暗闇の中で神を見つけ出すでしょう。なぜなら、「あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。」 (詩篇139・12)と書かれているからです。
以前は神がそのように共にいてくださることを、あまり気に留めなかったかもしれません。私たちはかつて、それほどの暗闇を経験したことがなかったからです。しかし神は、ご自身の臨在を私たちに「立証」してくださいます。終わりの時代に起こることとして、聖書は包囲され敵の下にある都としてエルサレムを描写しています。ゼカリヤはその出来事を予告しています。「その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。」 (ゼカリヤ12・9)。それでもなお、「神はエルサレムを助けられる」という、同じ約束であるイザヤ書のみことばがこだまします。
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。……あなたと戦う者たちは、全くなくなってしまう。あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、『恐れるな。わたしがあなたを助ける。』と言っているのだから。恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。 ―主の御告げ。― あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。」 (イザヤ41・10、12b-14)
次号後編では、嵐のような苦難を起こされる神の3つの目的、そして、苦難のただ中に置かれた私たちクリスチャンがとるべき神への応答について学んでまいりましょう。 |
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