エリヤは神をよく知っていました。エリヤは神が奇跡的に天から火を送り、いけにえを焼き尽くされることを信じて疑いませんでした。このような信仰による大胆さや勇敢さは、神と共に時を過ごす者、そして静かな場所で神から聞くことのできる者だけにもたらされます。エリヤは神が与えられた詳細な指示に聞き従いました。「あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行った……」(T列王18・36)
それでもなお、この驚くべき勝利の直後、イゼベルからの逃亡を余儀なくさせるほどの恐怖が、突然エリヤを襲います。それは、まるでエリヤが神について知っているすべてのことを忘れ去ってしまったかのようです。神は3年もの間、アハブからエリヤをかくまわれました。それなのに、神がエリヤをイゼベルから守られないということがあるでしょうか。エリヤは450人ものバアルの預言者を殺しました。それにもかかわらず、たった一人の女から逃げようとしたのです。この勇敢な男に何が起こったのでしょうか。私たちの心が神に信頼していないとき、私たちは何と簡単に恐れに打ち負かされることでしょう(イザヤ26・3)。エリヤが再び神の御声を聞いたのは、静かな隠れ場の「かすかな細い声」でした。(T列王19・12)
恵み、平安、喜び、信仰の場所
聖書には、パウロは主イエスに従う誰よりも多くの苦難に遭ったと記されています。パウロは自分の試練をリストアップしています。「私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」(Tコリント11・23b-27)。それでもなお、パウロは恵みと平安と喜びと、そして
揺るぎない信仰で、そのすべてを切り抜けていきました。
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| 投獄されるパウロ |
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パウロとシラスが投獄されていたとき、二人は賛美し主を礼拝していました(使徒16章)。乗っていた船が二週間も暴風に激しく翻弄され、船の積荷が海中に捨てられるのを見ても、不安な様子を見せませんでした(使徒27章)。その状況は絶望的で、水夫たちは14日間、何も食べることができませんでした。パウロは水夫ではなくただの乗客(囚人)でしたが、兵士たちが聞き従うほどに確信と権威をもって話しました。まむしに取りつかれたときも、ただ火の中に振り落としただけでした(使徒28章)。パニックや死の恐怖は微塵もありませんでした。
このような状況の中で、どうすれば平安な心でいられるのでしょうか。パウロは心の奥深い所で神と共に住んでいました。神との交わりがパウロにとって余りにも現実的であったので、肉体での経験はさほど重要ではありませんでした。ローマ人への手紙8章38節から39節に記されているパウロの信仰告白は、単なる言葉ではなく、それが真理であることをよく理解したものです。「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」どのような悲惨な経験であっても、神からパウロを引き離すことはできませんでした。なぜなら、隠れ場はパウロにとっては現実そのものだったからです。
実りと安全の場所
主イエスが十字架にかけられる前夜、最後に弟子たちと過ごされたときに、とどまるべき場所について語られました。
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