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また、ヨハネ3章16節では、神の愛を確認しています。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
この言葉は、神に対して無関心だったときでさえ、極限まで私たちを愛し、神との交わりを持つことができるように、罪の贖いを備えてくださった神を描写しています。
マタイ7章7-11節は、神が愛によって必要を満たす用意をしておられることを告げています。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」
第2コリント1章3-4節では、神についてこう言っています。「私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」
ガラテヤ5章22-23節でパウロは、御霊の実は「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません」と言っています。もし、これが、私たちに現わされる御霊の実であるなら、それは次のことを意味します。
父なる神は愛です。
父なる神は喜びです。
父なる神は平和です。
父なる神は寛容です。
父なる神は親切です。
父なる神は善意です。
父なる神は誠実です。
父なる神は柔和です。
父なる神は自制です。
これにはどんな意味があるのか?
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