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 しかし、新約聖書では父なる神とイェシュアはひとつであり、親しい関係を持っておられることが明白です。その関係をとおして、父なる神が私たちに啓示されています。さらに、父なる神はイェシュアにとって厳しく近づき難い父ではありませんでした。ゲッセマネの園で苦悩する中、イェシュアは父に叫び求め、“アバ”と呼びました。それは、深い親しみと親密さをあらわす、“おとうちゃん”という言葉に訳すことができます。イェシュアは、父に叫び求めました。「おとうちゃん、あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」(マルコ14:36)

同様に、私たちも父なる神と“おとうちゃん”の関係を持つことができます。ローマ書8章15節にはこうあります。「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父。』と呼びます。」 私たちは、父なる神を義なる裁判官として見ているため、メシヤによってあらわされた愛なる父のご性質を見ることに失敗しています。

 “おとうちゃん”と親しく呼びかけて神の胸に飛び込むことができ、私たちの願いは聞かれるのです。創造者なる神との親しい交わりは、旧約時代にはほんの少数の人以外には知らされていませんでした。しかし、イェシュアの犠牲とその血で買い取られた救いが、神と直接話すことができる至聖所へと私たちを導き入れました。旧約聖書では、至聖所に入るのは「贖いの日」だけであり、年に一度大祭司のみにゆるされた領域でした。そしてもし間違いがあれば、大祭司は神の臨在の中で命を落としたのです。

 私たちはもはや恐れおののいて父なる神の臨在に近づく必要はありません。救いの恩恵を与えてくださったイェシュアがおられます。私たちが簡単に受け取っているこの神の臨在を、旧約の聖徒たちはどんなに慕い求めたことでしょう。これが大変な祝福であることを理解しているでしょうか。また、この好機を活用しているでしょうか。神を愛し敬うために祈り(会話)、父なる神の臨在に近づき、神の愛と守り、備えと導きを受けているでしょうか。

 イェシュアのように、私たちも神を“お父ちゃん”と呼ぶことができ、親しい関係を持つことができます。父なる神は、天と地を動かすほどに私たちを愛し、心配してくださるのす。私たちもまたイェシュアのように、「いつも、そのみこころにかなうことを行なう(ヨハネ 8:29 )こと」を願わなければなりません。


◆アバ、父はどのような方か?
 第1ヨハネ4章7-10節にはこうあります。「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

 
 
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