|
どこに問題があったのでしょう。なぜ、生徒たちはその教えを理解することができなかったのでしょう。
そこで教授は生徒たちに父なる神の絵を描くように言いました。
- ある者は、厳格で哀れみのない裁判官を描きした。無関心で冷たく、断固とした態度でその御座に座っている姿です。裁きのまなざしをもって、睨みつけていました。
- ある者は、暴君がその家臣に怒りをぶつけ、こん棒を振り回しながら御座に座っている姿を描きました。
- ある者は、混乱し当惑した顔で決断することができない弱々しい姿を描きました。
- ある者は、誰もいない御座を描きました。
- そしてわずかな者だけが、哀れみ深く慈悲深い目をした父なる神が、子どもたちを祝福しようと両手を広げ、御座に座っておられる姿を描きました。
生徒全員が、教授の教えを受けたにもかかわらず、これは一体どういうことでしょうか。
教授は生徒たちひとり一人と面接しました。そこで彼らの絵は、感じ易い幼少の頃、肉の父親がどのような接触をもったかを描いたものであるということを発見しました。
教授が何を教えようと、生徒たちは自分が育った不健全な家庭のイメージを乗り越えることができなかったのです。地上の父親のイメージが、神の理解を曲げ、偏見を与えていました。結果的に、それが神の祝福を十分に受け取ることを制限していました。
確かに、ほとんどの父親が「神を理解しその祝福を受け取る」という家族における役割の重要性を知らないと思います。
出エジプト記20章5節では、父親の咎や罪が3代4代の子孫にさえ及ぶと教えています。父親である私たちの行動は、良くても悪くても曾孫の次の次の代にまで、影響を及ぼすのです。これは見過ごすことのできない重大な事実です。
父親が神との正しい関係を持たず、家庭において神を恐れることを教えないなら、子どもたちに不健全な教育を施し、神学校の例に見たように間違った神の概念を植え付けることになります。
しかし、感謝すべきことに、たとえ貧しい父親像の犠牲者であったとしても、神は私たちを贖うことがおできになります。イェシュアをとおして、神のご性質について知るべきことを教えてくださいます。神学生たちのように、多くの人々が天の父を正しく捉えていません。そのため、神が私たちに対して望んでおられるものを見逃してしまうのです。
|