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出エジプト記で、神はモーセに、「パロに言わなければならない。主はこう仰せられる。『イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。…』」と言われました(出エジプト4:22)。また、詩篇の記者は神を「みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神」と呼びました(詩篇
68:5)。神はソロモンとダビデにのみ、彼らの父になると仰せられました。ソロモンについては、「わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる」(第2サムエル7:14)。ダビデについては、「彼は、わたしを呼ぼう。『あなたはわが父、わが神、わが救いの岩。』」(詩篇
89:26)と言われました。
しかし、新約時代になり、神はイェシュアの血潮による救いを受けたすべての人々の父となられました。
「イスラエルの父なる神」でしかなかった旧約時代とは異なり、イェシュアをとおして、神が私たちひとり一人の個人的な父となられたのです。
イェシュアが地上でミニストリーを始められたとき、洗礼を受けるためにヨルダン川に行かれました。そのとき、「天からこう告げる声が聞こえた。『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ3:17)という声がありました。また、イェシュアは言われました。「わたしと父とは一つです。」(ヨハネ10:30)
イェシュアは神ご自身のあらわれでした。神は子どもである私たちを守り、その必要を満し、愛し、世話をし、育てるというご性質を示されました。そして、父と子の関係の中に、ご自身を現わすことを選ばれました。この“父”としてのご性質は、旧約時代にも知られていましたが、それが個々の関係においてあらわされたのは、イェシュアがいらしてからです。
ヘブル1章1-2節にはこうあります。「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」 またイェシュアは、ご自身だけが父なる神をあらわすことができることを強調して、こう言われました。「すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。」(マタイ11:27)。ヨハネもこう書いています。「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」(ヨハネ1:18)
◆人々は父なる神とどのような関係をもっているのか?
ある神学校の教授が、驚くべき事実に直面しました。それは、生徒たちが父なる神の概念を正しく持つことができないということです。教授は神のご性質について教えました。しかし、彼らの説教やレポートから、多くの者がその教えを十分に理解していないのは明白でした。
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